冒頭のさざれ石サラリーマンだとどうなるだろうか。
まずはサラリーマンの立場で考えてみる。
I = (部長への比喩表現 x 自分達の共通の上司という高い文脈) x (1 – 0.2)
まず「自分達の共通の上司」という文脈が強い。職場で毎日顔を合わせるので距離も近い。
だから「面白さ」が高くなり、彼らはゲラゲラと笑ったのだ。
これが外部の人間だとCtは0、Dは1になり、面白さは0になる。
さて、ここまで内と外について考えてみたが、本題はここからだ。
もし私達が、何らかの表現者だった場合。
やや大げさだが、芸術家に限らず、ライターや編集者、ユーチューバーやポッドキャスター、デザイナーやイラストレーター、音楽家やDJに至るまで、何かを表現して誰かに伝える役割の人は、すべて表現者だ。
SNSで日々「いいね」やコメントを集めることが好きな人だって表現者だろう。
表現者ならば、遍く多くの人に届けたい。
しかし、それは簡単なことではない。
そんな私達を見て、近しい人は「凄いね」などと言ってくれるが、世の中には全然受け入れられない、という場合も多い。
それは、自分よりスキルのある者と競争して負けているからではなく、私達の身内を囲っている深い溝の中に落ち、そこから出られていないからかもしれない。
私達が世の中に届けたいものがあっても、それを受け取る人と私達の間にある距離は限りなく遠いため、そう簡単に届くことはない。
むしろ、発見すらされない。
だからこそ、知らない世界に行き、知らない人と出会い、知らない物に触れることで、少しでも距離感を縮め、新しい経験による文脈を紡がなければならない。
「何を言うかより、誰が言うかが大事」な時代において、私達が「誰」になるのは難しい。
でも、言い続けよう、届け続けよう、パワーを溜めよう。
そんなことを、「部長はさざれ石」と言いながら笑う彼らを見て思った。一体どんな部長なのだろうか。
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