ティッシュのイシュー(ふつうエッセイ #550)

ティッシュはTISSUEと書くが、イシュー(ISSUE)と似ている。

イシューは課題や問題を指すことが多いけれど、外出先でポケットティッシュで鼻をかんだら、どう処理すれば良いかは頭を悩ませるイシューではないだろうか。

どんなティッシュも、使われていないときは清潔だ。使われると、途端に置き場所に困ってしまうという、なかなか哀しき運命を背負っている男(女)だなあと考えてしまう。彼(便宜上、「男」という設定でいきます)は、使われた後に何を考えているのだろうか。早くゴミ箱にいれてほしいだろうに、ゴミ箱がすぐに見つからない場合、彼らはめいめいの場所に「一時保管」されてしまうのだ。

そもそも、彼はティッシュとして生まれたかっただろうか。

もとは木である。製紙工場で加工され、コピー用紙になる可能性もあれば、トイレットペーパーになる可能性もあった。モレスキンの手帳に、永年、大事に使われていた可能性だってあった。

考えてみれば、最古の「紙」ということで、ずっと保管され続けているものもある。燃やされればそれでおしまいだけど、保管され続けるという運命もまた、気の毒のような気がしてならない。

「ブラッシュアップライフ」ではないけれど、適当なサイクルで、生まれ変わりが実現できた方が良いのではないか。

とまあ、そんなどうでも良い思考を巡らせていると、やっぱりお腹が空いてくる。ティッシュを、人間は基本的には食べない。僕は、そばか牛丼か、あるいはパンを求めて、いまから町に出るのである。