故郷を呪った自分へ、かける言葉があるのなら(BUBBLE-Bさん #2)

1日でも早く去りたかった。

私が育った滋賀県南部は、田園風景と日本家屋、そして70年代に造成されたニュータウンがあるだけの街。
私は小学校から大学卒業までここで過ごした。

子供の頃から音楽が好きだった私は、高校時代になるとテクノミュージックやサブカルチャーにどっぷりとハマった。ノイズ混じりの深夜ラジオを明け方5時まで聞き続け、小遣いで怪しい輸入CDを買い集め、友達から借りた安価な8ビットパソコンでピコピコと作曲するという、根暗でオタクな日々を過ごした。

そのせいで勉強に身が入らず、せっかく進学校に入学したのに成績は下がる一方。話の合う友達もいなかった。

「今のままでは大学行けへんぞ。勉強してるんか?」

進路相談が憂鬱だった。勉強しても頭に入らないのだから仕方がない。

一体自分はどうなってしまったのだろう。
これから先、どういう人生を歩むのだろう。

そんな不安の中で迎えた大学入試の日。予想通り、解けない問題が続出した。

どうにでもなれ!と思い、適当に塗りつぶした4択のマークシート。翌日、ダメもとで答え合わせをしてみると、運良く正解の連続。これがロト6なら今頃は大金持ちだろう。

「よう受かったな」

担任の先生は目を丸くしてそう言った。
理系コースなのに数学や物理が落第点だった自分が、理系の大学に現役合格したのだから、驚くのも無理もない。

そうして暗黒の高校時代が終わり、大阪の大学へと通い始めた。本当は下宿したかったけど家にそんな余裕はなく、片道2時間の通学をした。
大阪。街は少し汚いけど、何でもあった。地元とは桁違いだ。

バイトをして音楽機材を買い集めた。
そして全国に音楽仲間もみつけた私は、ここぞとばかりに音楽活動にのめり込んだ。毎日のように曲を作り、仲間と聴かせ合った。

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