記念日に愛を祝わない(Yoshiyuki Hadaさん #4)

卒業式は学校生活における大事な記念日だ。だけど、卒業式を美談にするだけではいけない。終わりよければすべてよし、なんてシンプルに片付けられるほど、リアルな人生はシンプルじゃない。特別な区切りの日ではなくて、目先の日常の中に救いが必要な生徒もいる。卒業式になって初めて、愛をもって若者へのメッセージを伝えても、間に合わないこともある。記念日のバラの花束であっても、帳消しにできないことがあるように。だから、毎日の教室で愛をもって接することが大事なんだ。何気ない一言が救いにもなり、後押しにもなり、落ち込みにもなる。だけど、というか、だからこそ、僕は自分の一挙手一投足に気を取られて、いつも生徒を前にして、緊張している。

愛は、わかろうとしないといけない。けれど、決して完全に理解できるものではない。わかろうと心掛けたとしても、ずっと追いかけても永遠につかむことができない心の部分がある。それでも、相手のことを理解しようとする気持ち、態度が大事なんだと、僕はカノジョの3つの言葉を理解することにしている。わからないと諦めるのではなく、わかっていると結論づけるのでもなく、相手の気持ちをずっと求めていく態度。

それが僕のアウフヘーベン。記念日に愛を祝わない。いつも通りの代わり映えしない日常に愛はある。

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このエッセイは、僕という一人称から書いてきた。3つの言葉を放った彼女の気持ちや、その後の僕の人生で同じ言葉を発してきたカノジョの本当の思いは、ここでは語られていない。

カノジョはどう思っているのか。小説であれば、カノジョ側の視点も織り交ぜながら、双方のすれ違う思惑を描くことができるかもしれない。あのときの彼女は本当はこうしてほしかったのだ、と。

でも、ここではそれはできない。あの夜の彼女の気持ちを書き足した途端、あなたはわかっていない、とか、勝手に理解したつもりにならないで、とか、言われてしまいそうだから。

そもそも、カノジョの本当の気持ちなんて、僕にはわからない。愛とは永遠にわからないものを追いかけている途中のことをいうんだ。

それはきっと、カノジョへと続く、終わりなき旅。

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