記念日に愛を祝わない(Yoshiyuki Hadaさん #4)

生徒発表のあと、僕はパソコン画面越しの語りを続ける。

今の自分から変わりたい、と思っている人はいますか?僕もそうでした。大人になったら、今とは違う自分に生まれ変わりたい、生まれ変わるのではないか。だけど、良くも悪くも、自分はあまり変わりませんでした。感覚として、今の自分の持っている価値観の半分くらいは、青春期にできあがったと思います。中高生から大学時代に考えていたこと、読んだ本や映画、友達や恋人に言われたことが、大人になった今の自分を形づくって、突き動かしている感じ。だから、今この時期はとても大切なんだと思います。机に向かっての勉強ばかりじゃなく、青春を謳歌してほしい。毎日の生活の中に、その後の人生に心に残るものがあるはずです。これが、カノジョの言葉をみんなに話した理由です、と。

大人になってから思い返す学校生活は、細部が割愛されて、楽しい思い出か、逆に悲しい思い出というドラマチックな部分だけが残されて記憶されている。だけど、現在進行形の学校生活は、退屈な日常の連続だ。特に時間割で区切られた授業はその典型、退屈の象徴といえる。部活だったり、文化祭や運動会などのイベント、あるいは最後に迎える卒業式の方が学校生活を彩る思い出として生徒の心に残るだろう。

それでも、僕が限られた授業という接点の中で、カノジョの3つの言葉のエピソードを共有するのは、普段の何気ない言葉にこそ、愛が必要と考えるから。カノジョが教えてくれたのは、退屈な日常の何気ない言葉や仕草にも愛を込めること。だって、日常の何気ない言葉や仕草にこそ、人は傷つくから。

オンライン授業期間が終わって対面授業が再開しても、カノジョの言葉のエピソードについて何か感想めいたことを言ってきた生徒は、これまでにいない。あるいは本当に聞いてなかったのか、聞いていたとしても、変わった先生がまた変なことを話し始めたな、と思って、すぐに忘れてしまったのかもしれない。僕は、生徒と授業だけで接点を持つ立場。誰も過度な期待はしていないんだ。

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