お尻は左手で拭きたい(ふつうエッセイ #164)

1歳の息子は、食べ物を左手で掴もうとする。

僕と妻は右利きなので、「もしかして左利きなのでは?」と盛り上がる。なぜだか、右利きの人間は、ちょっとだけ左利きに憧れたりする。

しかし左利きの人は、社会が右利きの人間を想定されて作られていることに憂鬱さを感じるそうだ。ペットボトルのキャップも、開けるときは右回りだ。右利きの人が力を入れやすいからである。(たぶん)

というかそもそも、文字を書くのも、右手の方がやりやすいそうだ。わざわざ文字を書くときだけ、右手で書く人もいるくらい。習字を想定すると分かりやすいが、筆を入れるときにちょっとした捻りを加えるのがデフォルトの動作となる。

右手と左手の優劣はもちろんないけれど、色々なケースを考えると、特定競技のプロスポーツ選手でない限りは右手の方が「やりやすい」ことが多いのだろう。

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そんな僕だけど、どうしても用を足すときは、左手でお尻を拭きたいという希望がある。希望なんて大袈裟な言い方だけど、実際、右手だと上手にお尻を拭くことができないのだ。

こういう話を他人にすると「自分はどっちの手で拭いてるんだっけ?」と首を傾げられることが多い。

まじか!と思う。

手と、トイレットペーパーと、お尻は、絶妙なバランス感覚のもとで成り立っている。右手だと力が入りすぎてしまって、どうしても滑るというか、ちゃんと細かいところまで拭くことができない。

これは当然のことながら、年数をかけてチューニングをかけていける。だから右手でソフトタッチできる人もいるだろう。

だけど!

自分がどちらの手で、お尻を拭いているかは知っておくべきではないだろうか!

他人が用を足す瞬間など、ほぼ100%拝むことはできない。よって自分の常識はあくまで自分のもので、他人に転用できない。でもそんな自分だけで完結してしまう諸動作に、人間の能力を高めていくためのヒントが隠されているのではないだろうか。

あなたは、どちらの手でお尻を拭きますか?