高校教師(ふつうエッセイ #265)

先週末、現役の教師であり経営者のYoshiyuki Hadaさんのエッセイを公開した。

エッセイの中で、羽田さんは自身の高校時代を振り返っている。校外でバンド活動をしていた羽田さん、英語教師からマイルス・デイビス「カインド・オブ・ブルー」のCDを借りたことがあると記している。

なんて粋なことをする英語教師だろう。

率直に、羨ましい気持ちを抱いた。エッセイに触発され、僕もApple Musicで「カインド・オブ・ブルー」を聴いてみる。抜群に良い音楽であることは間違いない。

高校生のときに聴けたら、どれだけ良かっただろう。もしかしたらその良さを実感できずに聞き流してしまうかもしれないけれど、英語教師の粋は、生涯忘れないかもしれないなと。

*

高校の記憶──

所属していた部活で、僕は数名の同級生と仲違いしていた。

一般的にチームスポーツにおいて、「仲が悪い」というのは致命的である。僕が所属していた部活は、試合に出場する必要人員ギリギリだったので、僕を試合に出場させないわけにはいかない。

試合では勝利を目標に頑張ってはいたし、パスが来ないということはなかった。(よくあるスポーツの漫画では、仲間外れにされた選手にパスが回ってこないという場面が描かれることがあるけれど、あれはさすがに「やりすぎ」のように思うが、それは僕が幸運だっただけだろうか)

でも、本来「阿吽」でなければならない呼吸は、わずかにズレていたような気はする。あの頃の自分に「妥協して、自分から謝っておけよ」なんて言うことはできない。僕は、僕なりに筋を通した。その結果の仲違いであるなら、もう仕方がないだろう。いまでも、そう思う。

僕の高校は進学校で、だいたいの教師は「勉強しろ」と発破をかけた。「勉強しろ」と言われなくても勉強する高校生ばかりだったが、やはり腑抜けてしまうタイミングはある。高校3年生の夏休み、何名かの同級生は髪を染め、浮かれていた。髪を染める時間があるなら、英単語を憶えるべきだ。僕は、髪を染めた彼らを侮蔑したものだった。(ちなみに髪を染めたのは、僕が仲違いした同級生だった)

……かくして、性格にいささか問題を抱えていた高校生の自分。ちなみに、学校で褒められたことはほとんどない。成績上位者に名を連ねたこともなく、教師からしたら「赤点を取るような問題児」という認識だったのではないか。

信頼していた数学教師には名前を間違えられて憶えられていたし(同じ苗字の「堀」だと思われていた)、フランクに付き合えていた英語教師には「志望校を落とした方が良い」と何度も言われていた。

いま振り返ると、大学受験へとスパートをかける生徒へのコミュニケーションとして、かなり問題があったと感じている。(まあ、確かに僕は全然優秀な生徒ではなかったし、模擬試験でもいつも「E判定」を食らっていたのだが)

ひとりだけ例外がいた。当時の僕の担任だ。

彼は、どちらかというと、生徒からあまり好まれていなかった。古典の授業を担当していたのだが、ときおりドン引きするほどの下ネタを披露していた。「変わっている」というか、何か余計な一言みたいなのを無邪気に発してしまうようなタイプだった。

僕自身も、彼のことはそんなに好きではなかった。だけど彼は、面談のたび「堀くんなら、この大学は受験する資格があると思うよ」と言った。E判定しか出ていなかったにもかかわらず。おそらく、夏休みで多少成績が上がったことを受けての言葉だったように思う。(成績が上がったとはいえ、夏休み前の成績があまりに酷かったのだ)

誰にも同じことを言うのだろう、そう思っていた。だけど僕の友人Mは、面談のたびに「勉強しろ」とボロクソに言われたそうだ。「堀くんを見習え」という言葉まであったという。

それはそれでどうかと思うのだが、高校時代に唯一努力を認めてくれた高校教師として、卒業後20年経ったいまでも、彼のことを記憶している。なかなか僕自身が単純な人間だと苦笑してしまう。が、1年半前に設定していた志望校を揺るぎなく受験できたのは、間違いなく彼の後押しがあったからだ。

結果的に、その志望校は不合格だったが、彼には感謝している。

*

僕は幸運なことに、記念受験をした私立大学に合格し、そのまま4年間を過ごした。

ラッキーだったのだ。それを承知で言いたいけれど、大学受験なんて、その人の人生を占う上で、ちっぽけな出来事に過ぎない。

もっと大事なことはある。些事だ、正直に言って。

でも、些事だからこそちゃんとやっておくべきだとも思う。些事だからといって、部活から解放された翌日に髪を染めるなんてことは僕にはできない。ひたすら英単語を憶えるのは、些事もちゃんとこなせるんだという証明のひとつであるけれど、ひとつではあるのだ。

その過程において、ひとつやふたつくらい、記憶に残る出来事があれば良いなと、他人事ながら思う。

それが「カインド・オブ・ブルー」だったり、E判定でも軽々しく受験に太鼓判を押した国語教師だったり、その辺は色々あるだろう。

受験なんて、本当にしょうもない制度だと思う。しょうもない制度に、疲弊する必要はない。些事だと思って、粛々と、些事に取り組んでもらえたらと思う。些事の先に、出会える人たちとの愉しみは間違いなくあるから、それだけは信じてもらえたらと思うのだ。