ひとつしかないトイレ(ふつうエッセイ #521)

打ち合わせの前、必ず個室トイレで用を足す。

身体から何も出なくても良い。もはや儀式のようになっていて、落ち着くためにトイレに寄っている節もある。

ただ、場所によってトイレの数は限られているものだ。今日僕が訪ねたビルでは、ふたつあるうちの片方の個室トイレが修理中で、もうひとつが埋まっていた。全く音もせず、ドアをノックするまで人の気配すら感じなかった。おそらく、個室トイレで眠っていたのではないか。

今日は、何となく気まずい思いがして、その場を離れてしまった。

個室トイレには入れなかったけれど、なんとか2時間の打ち合わせ(取材)を終えることができた。これまで何度も打ち合わせを重ねてきているわけで、多少のトラブルには慣れている。いざとなれば、「すみません、トイレ貸してください」と言えばいいのだ。

この先も、足を運んだ先で、トイレがひとつしかないときも巡ってくるだろう。場合によっては、トイレがひとつもないときだってあるかもしれない。

考えただけでお腹が痛くなるけれど、とりあえず不測の事態というわけではない。僕にとってトイレとは、体調のバロメーターではない。余裕の有無を測る秤のようなものなのだ。