人生最後の日だったら(ふつうエッセイ #598)

おまえさ、もし今日が人生最後の日だとしたら、何がしたい?

スティーブ・ジョブズの名言をもじり、そんな質問を目の当たりにすることが時々ある。いや、余計なお世話だろう。「これは思考実験なんですよ」なんて言われても、すんなりと納得いかない。そんな怪しげなセミナーは、早々に辞去することが正解だろう。

実際、そんなことを「まじで」考えていたら、考え続けていたら、人生はとっても窮屈なものになる。ハズレなしの映画だけを観るような人生に、多様な価値観など育まれるはずがない。

そもそも人生には、それなりの猶予期間がある。

もちろん、明日死ぬ可能性はゼロではない。もしかしたら明日、「あなたの寿命は残り3ヶ月です」と余命宣告を受けるかもしれない。可能性はゼロじゃない。(僕も40歳間近になり、健康診断でのC判定項目が多くなってきた)

でも、「今日が人生最後の日」という質問には、勝手にコントロール不能に追いやられるような強さが込められている。強さは、脆弱さと相性が悪い。脆弱さはPCのセキュリティにとっては問題だけど、デザインにとっては悪いことばかりではない。脆そうなものは丁重に扱おうという意思が働くからだ。

相手が「強さ」という土俵をチラつかせても、別に一緒になる必要はない。ほとんど言い掛かりに近いような暴言を浴びても、生命や尊厳を損なわない限りは、無視したら良いじゃないか。

人生最後の日だったら、何をするか。間違いなく「今日が人生最後の日のわけがない」と、現実逃避の旅に出るだろうね。