“もし神様がベッドを覗くことがあって、誰かがありきたりな動作で自分たちに酔っているのを見たとしても、きっと真剣にやっていることだろうから、笑わないでやって欲しい。”
この一節を見たとき、私のことだ、と思った。今まで後ろめたく生きていた私が、前を向いて生きていける言葉だ、と。
以来、私はこの言葉に赤いペンで大きく線を引き、心が負けそうになった時にページを開いて見つめることにしている。とても力強く、優しく、そして人間じみたこの言葉を、何度も反芻しながら生きている。
私が私の愛する相手に、ぺりぺりと血の滲んだガーゼを剥されて幼児のように嗚咽していたとしても、どうか笑わないで欲しい。だって私にとっては一世一代の、人生において祝福されるべき瞬間なのだ。初めて誰かが、布越しじゃない──素っ裸の私を見てくれる瞬間を、これから愛されるんだ、という多幸感でいっぱいの私を、おめでとうと言ってただそっとしておいて欲しい。でも、少しだけ優しくしてほしいと思う弱さもちゃんとある。傷ついたのは確かだし、そして、私はそんな人生を自分の足で歩いてきたのだから。
人間である限り、自由に生きたい。
愛に奔放でありたい。
そんな当たり前の願いを、大それたこととして受け止められたくない。苦しみや幸せの大きな波に惑わされることなく生きていきたい。時にみっともなくよろけながらも、全力疾走したその先に飛び込んだ身体を受け止めてくれる人を見つけたいのだ。その人がつやめいた美しいロングヘアで、香水の良い匂いをさせていて、私よりグラマラスな人でも。ベリーショートで、リーバイスのボトムが似合うのに、すごくセクシーな人でも。
「愛」を知るにはどうやって生きればいいのか。ずっとそう思って生きている。大人になることの定義や好きになった人間の性別なんて形骸でしかなく、本当の意味で自分を知るための旅路には無用なのに、皆それに応えるため躍起になっている。
私はそんなマジョリティを蹴散らして、今日も独りの夜を乗り越えていく。誰かを愛するための勇気をくれた彼女や音楽、言葉、そして映画や小説たちを両手に、こぼれ落ちないよう胸に抱きながら。
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