愛とは生温かい傷。ガーゼで隠していた私の叫び~自由に人を愛したい(安藤エヌさん #3)

初めて恋をした相手がいた。私は彼女との思い出を小説にした。6万字の、長い小説だ。記憶を掘り起こし、無我夢中で書き綴ったあと本に綴じたそれは120頁に及んだ。

当時は想いが通じあってさえいれば何もかもを乗り越えられると思っていたが、あまりにも若すぎたし、この先どうやって生きればいいのか分からなかった。
高校を出たらシェアハウスをしよう、という夢も、結局叶わずに終わった。関係は緩やかに収束していき、やがて私たちは元の他人同士になった。今思えば、絵に描いたように儚い。だけど、彼女のことがどうしようもなく好きだった、ということに嘘はなかった。その衝動が今となっては笑い出してしまうほど甘くて、じんじんとした青い感覚だったことを覚えている。

あの頃はまだ若かったおかげで、自分の抱く愛が少数派であることに気づかなかった。だから、ある意味では幸せだったのだと思う。しかし、大人になった今を生きていると、私のことを否定はしてこないけれど、それでもじろじろと不思議そうな眼差しを向けてくる人たちの声が聴こえてくる。

「間違ってはいないけれど、正しくはない」「不格好だ」「不思議な人」

そういう人たちは決まって不特定多数で、後ろから私の背中を指さして言ってくる。だから私は必死に、傷をかばうガーゼが外から見えないようカモフラージュする。
自分が他人から見て不思議に思われないよう、あたかも”正しい”形で相手を選び取り、その相手と”正しく” 恋愛をしている人間として振舞ってみせる。
他人の声を気にして、ありのままでいられない自分が嫌だった。自分は一体何なのか。どうして男性も女性も好きになるのか。誰も答えを教えてくれない問いが堂々巡りして、よりいっそう惨めになった。

けれど、山崎ナオコーラの小説『人のセックスを笑うな』の言葉に出会って、その思いは変わった。

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