赤信号を、引き返す(ふつうエッセイ #185)

今日はメタファーな内容で。

赤信号を好んで渡ろうという人はいない。

だけど時々渡ってしまうのは、急いでいたとか、気付かずにうっかり渡ったとか、行けると思っていたら赤になったとか、様々な理由がある。

もし渡る途中で赤信号になるだろうと気付いたとしたら。きっと当人はとっさの判断で、渡るか引き返すかの判断をしなければならない。

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僕は小学生のとき、鉄道の踏切で渡るか戻るかで迷い、しばし足が止まってしまったことがある。その踏切は少し長かった。渡ってすぐにカンカンカンと音が鳴ったが、足が止まらずに真ん中まで歩いてしまったのだ。

本来ならば、引き返すべきところだ。

授業では、横断報道を渡っているときに信号が点滅したら戻るべきと教えられていた。だから戻らなくてはいけなかったのだけど、友達はすでに踏切を渡り終えている。どうしようか、このまま進んだら先生に叱られるだろう。だけど、もう真ん中まで来てしまっている。戻るのは妥当な判断とは思えない。いや、そもそも真ん中に来る前に、引き返す判断をすべきだったのだ。

そんなことを、ぐるぐる考えていた。既に踏切は閉じられている。

間もなく、電車がくる。

やばいやばい、どうしよう。僕は、長い間立ち往生していた。

どれくらい時間が経過したかは憶えていない。結局、友達が「早く来い!」と何度も叫んだことを受け、なんとか渡ることができた。まもなく電車が通過する。電車を見送った後で、肩の荷が下りてわあっと泣いてしまった。

小学校4年生か、5年生のときの話である。

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とっさの判断が求められたとき、前に進むか、後ろに進むかは本人の性格にもよるのだろう。

だが大人になると、とっさの判断による影響は大きくなっていく。「とっさ」と言っても、一晩くらいの猶予が与えられることもある。事業をこのまま継続するか、撤退するかなど。継続しても壊滅的な赤字が見込まれるだけだが、撤退したら多くの仲間が職を失ってしまう。ドラマなどで見掛けるシーンだ。

かつて赤信号を渡った僕は、引き返す勇気を持てなかった。ずるずると前に歩みを進め、結果的にパニックに陥ったのだ。

だけど思うのだけど、もっと長い目でみたら「それって、どちらを選んでも大したことないよ」ということかもしれない。進んだこと、引き返したことでどちらも後悔することはあっただろう。そしてこれからも、赤信号を引き返す勇気を何度も問われるかもしれない。

正解は、ない。

だが、進むだけが勇気でないことは心得ておくべきだろう。撤退も、また勇気が必要だ。これまでと違った行動変容が求められる。

どんな決断をくだしても、痛みは伴う。だがきっと、痛みは糧になるはずだ。

とにかくめいっぱい、時間の許す限り考えてほしい。あのときの僕に、そして未来の僕にアドバイスを贈る。