他人になれない、不思議な縁。それが家族~母の横顔、父の背中に感じた愛(安藤エヌさん #2)

私は気分の浮き沈みが激しい。

気分が良い時は、全人類のことが愛おしくなる。この世界に産まれてきたことに感謝し、見たもの聴いたもの食べたもの、すべてに幸福を感じる。

しかし一度落ち込むと、まるで賑やかだった劇場に暗幕がかかったみたいに、或いは日光を遮断するサングラスを掛けたみたいに、世界が一転して薄暗くなる。そういう時、夜には決まって先の見えない階段を永遠と降り続ける夢を見る。これは病気が深刻だった時に見た夢で、今はあまり見なくなったけれど、本当に、面白いほど、世界は私という人間が生きるのに酷く厳しい場所だと思ってしまうのだ。

2023年が明けた。パンデミックはいまだ続き、戦争は終わっていない。この先どんな人生を歩むのか、その時に世界はどうなっているのか、誰にも予想できない。人間は誰しもが不安を抱えて生きている。気丈に過ごす術を得る人もいるが、心もとない気持ちに襲われる人もいる。それでも人生の長い間、不安に打ち勝つために必要な愛というものを感じる瞬間が確かにある。

人とは皆、親から生まれる。ゆえに親の存在は自分の人生に大きな影響を与える。時たまとても煩わしくなる繋がりでもあるが、同時に愛について語る時、小説や映画でいう”主要な登場人物”となることに気付いた。今回はそんな、私の物語であるが誰かの物語にもなれるような、愛にまつわる話をしたいと思う。

*

母には本当に感謝している。躁鬱の類の病気になった時、いちばん最初に異変に気付き、病院に連れていってくれたのが母だった。

病院で診断を告げられ、帰りのレストランで私は母に言った。

「これから、私が私じゃなくなる時が来るかもしれない。昔の私がいなくなって、面影が消えて、お母さんにも優しくできなくなるかもしれない。でも、頑張るから。負けないから、そばで見守っていてね」

母は静かに頷いた。
その時のことをよく覚えていると、今でも母は私に話す。

1 2 3