仕事への愛と、自分に正直であることを、併存させるのは難しくて、未だに試行錯誤している(片山壮平さん #3)

「理念の実現と事業のグロース志向との間に、全く乖離がない」

転職して3年。採用絡みの面談で、現職の魅力を語るバリエーションはいくつかあるが、特に企業に所属されている方には、必ず伝える。

全ての事業は何らかの困りごとを解決するために立ち上げられたもののはずだから、その意味では創業時の理念と事業目標に乖離はないはずだ。しかし、ある程度成熟した資本主義社会において、企業の現場レベルでは、短期的にこの乖離に直面することがままある。松下幸之助翁が語った「水道哲学」と呼ばれる考え方は、もはや多くの業界では高度経済成長期の遺物となってしまった。水道が行き渡った現代、水道事業の売上拡大を目指して消費量を増やし、資源が枯渇するような本末転倒はナンセンスだ。これは教育業界でもまた然りであり、教育産業が拡大することは、同時に格差拡大を招く。このジレンマを乗り越えるモデルはまだ開発されていない。
公教育の変革は、遅々として進まないようにも見える。総じて教育の社会的価値は非常に高いと誰しも認めるのに、より社会的価値の高い教育(例えば、経済的に困窮する世帯に真っ当な教育を届けること)には正しい価値付けができない。そもそも経済的に困窮している世帯は、個人別教育のコストを直接払うことはできない。個人別教育を普及させた立役者であるはずの公文式でさえ、この問題を乗り越えることはできなかった(もちろん程度の問題、定義の問題ではある)。資本主義の限界が分かりやすく凝縮されていると思う。
私は、小説で言えば初期の伊坂幸太郎の様な、一見分断されたかに見えるエピソードが、最後ストーリーとして一気に繋がる伏線回収にテンションが上がる。そんな気質だからか、教育産業自体が抱えるこのジレンマを認識してから、気になって仕方なくなってしまった。別にそういうものと思えれば良いが、私の場合は思えず、テンションが上がらない。特に地方に赴任すると、単に「事業目標に向けて学習者を増やそう」という気には、なかなかなれなかった。不幸なことだったと思う。

今在籍するリディラバは、社会課題解決を志向する、いわゆるソーシャルセクターと言われている。理念実現と事業グロースの一致が約束された業界なので、事業の難易度は高いが、前述の違和感の心配は全くない。
扱う商材に愛があるか?と聞かれると、まだ充分でないかもしれない。リディラバが提供している価値の大きさに、自分がコミットできているかどうかという点で、まだまだだと思うからだ。コミットしたいと思って、今の場所で咲こうとしている。愛を育むのはこれからだけど、合意形成は最初からできている。仕事への愛と、自分に正直であることを、併存させるのは難しくて未だに試行錯誤している。そう考えると、まあこれは、幸せなことだろう。

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あい【愛】
人や物、または行為に向けられた感情の流れ。それはポジティブな結果もネガティブな結果も招くが、いずれの場合にも必ず何かが残って、続いてゆく。自分に対して正直であることが大事。

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