仕事への愛と、自分に正直であることを、併存させるのは難しくて、未だに試行錯誤している(片山壮平さん #3)

公文式は本当に良くできたメソッドで、数学・英語・国語の基礎科目に絞り、教材の内容と1回に学習する枚数、復習する回数を変数とすることで、子どもの能力差に個人別に対応できる。私が経営企画室に在籍していた2011年当時調査したところでは、公文教育研究会は自閉症スペクトラムやダウン症の診断が下りたお子さんを教室の生徒として受け入れている世界最大の民間団体だった。教室での指導は、特に個別の学校の進み方に合わせていないので、いわゆる「吹きこぼれ」と言われる子どもたちに合わせた学習内容にも調整することができた。今でこそ、個人別教育なんてどの塾でも標榜しているが、そもそも個人別にすると指導コストが嵩み、その分単価は上がる。公文式の大きなアドバンテージは、個人別教育がまだ一般化していなかった時代に、指導法の妙によって個人別教育をローコスト化したことにある。
このメソッドの普及がもたらす社会的価値は大きい。そう考えて仕事に邁進した。時期も結構長くあった。

「与えられた場所で咲け」

とは、会社組織にとても都合の良い言葉だ。複数の先輩諸氏が、飲み会で引用したのを覚えている。ある人は「自分に与えられた仕事に表面上不満はあっても、なぜその役割が回ってきたのか、意味合いを少し引いた視点で考えてみろよ」と語り、ある人は引用した上で「場所を与えられるまで待つなよ!場所は創るものだし獲りに行くものだ!」と主張した。とは言いながら、冷静に考えて個人の都合を押し通せば通すほど、組織に適合しなくなるのは確かだ。それが基本でありながらも、大きい組織であれば人繰りに余裕があるから、個人の都合はある程度通せる側面もあるので、一義的にパキッと決まらない。いちばん幸せな働き方は、個人の都合やキャリア観が、会社の成長戦略と全く合致したケースであり、何のストレスもなく自己実現しながら組織に適合して行く。夫婦に置き換えると、会社の成長戦略と個人のキャリア観の関係は、夫婦お互いの家族観に等しい。

改めて考えると、企業で長く働くには、商材への愛の有無とは別に、個人と組織の方針や価値観の合意形成が必須になる。合意形成できていて、愛がなくてもその職を続けているケースは、いわゆるライスワークであり、めずらしくない。愛がなく、合意形成もうまくいかないのであれば、まだわかりやすく、すんなり辞めることもできようが、愛があるのに合意形成できないと長期的には関係を続けるのは、よりキツくなる。

私の場合は、完璧に後者であり、お互いが不幸になる前に発展的解消に至り、転職した格好だ。

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