ろくでもない父からもらった、たったひとつの宝物(李生美さん #4)

源流は手塚治虫にあり

「美しい」という言葉には、ちょっとした歪さも含まれている。「綺麗」には一点の曇りもないけれど、「美しい」には人間のしんどかったり醜い部分があるからこそ、深みが増すような寛容さがある。酸いも甘いも知るからこそ、人生は美しいと思えるような。

そういえば父は、手塚治虫の漫画を愛読していた。ことあるごとにその素晴らしさを説かれたわたしは、家にあった『ブラック・ジャック』や『火の鳥』を繰り返して読んで育った。

生きるとは何か。生命の尊厳を問うた漫画たちは、父のバイブルだった。

普段の会話はめったに通じない父だったが、漫画や小説、映画の話だけはできた。
「男はつらいよ」の寅さんを尊敬していて、ちょっと感動的なシーンがあるとすぐに泣いていた。「ミナミの帝王」もよく一緒に観てたので、借金だけはしないでおこうなどと幼な心に誓ったりした。どちらの作品も義理人情に溢れていた。
ある一定の年齢まで、ミステリー以外の小説を読んだことがなかったのは、家の本棚にあったボロボロのコナン・ドイルの小説から、ミステリーのおもしろさにのめり込んだからだ。
わたしの小説や映画の嗜好は、父の影響がかなり強い。

父の感情に任せた怒りは、おそらく誰よりも弱く繊細な心から生まれていた。
もうこの世にはいないけど、名前の意味を思い出すたびに、父との思い出も蘇ってくる。

死にたくなるほど辛い時も、名前がわたしを支えてくれた。生きるということに対して、逃げずに立ち向かおうと思えた。

父の人生は美しかったんだろうか。それは本人にしかわからない。
だけど死ぬ時に「生きることは美しかった」と思えるような人生を、わたしは歩んでいきたい。

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