パーパス(ふつうエッセイ #58)

人事をやっていたこともあり、最近、組織マネジメントの文脈で「パーパス」という言葉をよく聞くようになった。

日本企業でも、次々に導入が進んでいる。

https://www.smo-inc.com/blog/articles-about-purpose/1617

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とある本を読んでいたら「パーパスとは見つけるものでなく、自らつくるものである」という一節を発見した。

なるほど、ごもっとも!と膝を打ったのだけど、思いがけず強く打ちすぎて我に返る。「目的」をつくるってどういうことだろうか。

何となく、感覚的には分かる。目的を他人任せでなく、主体的なものとして捉えようという表現なのだろう。でもそれって、目的というよりは目標に近いんじゃないかなと。

屁理屈を言いたいわけじゃないけれど、僕の実感としては、パーパス(目的)とは、見つけるものとつくるものの間に存在しているような気がする。でっち上げてもダメで、自然とおりてくるというか、気付くというか。だけどそれは考え続けないと見つけることはできない。なのでつくる、と言えばつくるもの。

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現代の傾向として、0か1かを規定する分かりやすさが求められている。

だけど本来、そういう原色のような「分かりやすさ」というのは稀で。機微を慎重に踏まえた言葉を都度生んでいたのではないか。「をかし」「あはれ」などは、なかなか今の日本では頻繁に使われないものの、曖昧な感じが見事に表現されているように思う。

分かりづらいのはNG、とされている世の中で、グラデーションの海にいる人たちは「どっちつかず」の印象を与えてしまうのかもしれない。そんなに割り切れないじゃないか、と個人的には思うのだけど。

パーパス。つくるのはもちろん意味はあるけれど、パーパスとして選ばれなかった言葉の居場所も、どこかに作っておいてほしい。