ろくでもない父からもらった、たったひとつの宝物(李生美さん #4)

その感性、まじ尊敬

小さい頃、わたしは自分の名前があまり好きではなかった。「せんみ」と読むので、「せみ!!」とか言われてよくからかわれていた。変な名前をつけてくれたもんだ!とさえ、思っていた。

あるとき「自分の名前の由来を調べてください」という宿題が出された。小学校でよくある宿題だ。わたしは母に名前の由来を聞いてみた。父に尋ねても、どうせろくな答えが返ってこないと思ったからだ。

父と母のはじめての子供として、わたしは母のお腹の中ですくすくと育っていた。しかし産まれた時は、かなりあぶない状態にあったという。
集中治療室で、生命維持装置を体にたくさんつけられ、小さい心臓を動かしながらなんとか生き延びていた。苦しみながらも必死で生きようとするわたしの姿を見た父は、号泣しながら「生きることはなんて美しいことなんだろう」と感激したそうだ。そしてわたしの名前に「生美」とつけた。

この話を聞いた時に、自分の名前に対する想いがガラリと変わった。と、同時に悔しかった。父の感性に嫉妬したからだ。どうしようもない父を、はじめて尊敬した瞬間だった。

子供に名前を授ける時は、「こういう子に育ってほしい」という願いを込めるのが定石だ。だけど父は、はじめて生まれた自分の子供が懸命に生きようとする姿を見て、生きることの素晴らしさに打たれた。心を大きく揺さぶられ、自分だけにとどめることができない感情を、子供の名前に込めたのだった。
背負うものが大きすぎる気もするが「まじで自分の名前最高すぎるな?」と、このエピソードを思い出しては自己愛を育んでいる。名前の意味を讃えられるたびに、父が誇らしかった。

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