フジロックに行けない(ふつうエッセイ #328)

今年もフジロックに行けなかった。

最後にフジロックに行ったのは2017年。息子が生まれたり、コロナ禍だったり、そもそも参加者のマナーに幻滅したりと色々な理由がある。だけど「フジロック」という言葉を聞くだけで、苗場に思いを馳せてしまう。それくらい、フジロック愛があると自称できる。

寂しい気持ちを抱きながら、YouTube Liveで現場の映像を眺めている。

VAMPIRE WEEKENDだ!
Foalsだ!
ORANGE RANGEだ!
コーネリアスだ!

少し飽きたら、チャンネル1〜3を適当にザッピングする。現場にいると、そうはいかない。グリーンステージからホワイトステージに移動するだけで10分は時間がかかる。山の中だからだいたい雨も降っていて足場が悪いから、その場でまったり過ごしてしまいがち。

便利だけど、不便が恋しくなる。この感覚は、苗場をどっぷり経験した人だけが味わえるのではないだろうか。

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フジロックに出演する海外のアーティストが「こんにちは!」と日本語で挨拶するのも良い。オーディエンスがドッと盛り上がるのだが、そういえば、これって何故なのだろう。アーティストと繋がったような感覚が持てるのか。たどたどしい日本語に、むしろ親しみを感じる。Weezerのフロントマンを務めるリバース・クオモさんは日本語が堪能で、それはそれで親しみを感じてしまうのだけど、あのたどたどしい感じを好んでしまうのは何故なのだろうか。

ちょっと考えたのだけど、物理的な距離の問題かもしれない。イングランドのアーティストがドイツで演奏する場合、移動の負荷はそれほどでもない。しかしイングランドのアーティストが日本で演奏する場合、移動にそれなりの時間がかかっている。もしかしたら機内で腰を痛めてきたかもしれない。冷房が効きすぎて寒い思いをしてきたかもしれない。身体の大きめのアーティストだったら、機内はさぞ狭いだろう。

そして、欧米系の言語とはまるで違う、日本語が放たれている国。インバウンドが一時期隆盛を極めたとはいえ、耳に入る言葉はだいたい日本語のはずだ。もちろん、ドルもユーロも使えない。

不便な思いを強いてしまい、それだけでも「来てくれてありがとう!」である。なのに、そんな彼らが日本語で挨拶しているという。あの「ドッ」と湧く歓声は、そんなストーリーを無意識で共有しているからではなかろうか。

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コーネリアスが、1年の活動休止を経て、苗場に戻ってきた。

さまざまな報道、憶測によって心が痛んだ。心なしか痩せたようにも感じる。でも、心から「おかえりなさい」と伝えたい。ほんとうに、おかえりなさい!