誰かのために汗をかく<彼女の言葉①>(Yoshiyuki Hadaさん #1)

そう。彼女の言葉は僕へのクリティカルヒットだった。痛恨の一撃といってもいい。僕は、誰かのためになりたいと思って国際法を学び、NGOで活動をして、ようやく誰かの役に立っているという感慨に浸っていた。それなのに、目の前にいる彼女さえも救えていない。彼女は意図してか、無邪気にか、この事実を突きつけた。理想と現実の落差を目の当たりにして、僕はクラクラした。いったい自分は何をやっているんだ、と。

遠くへ遠くへ愛を届けようとしていたら、自分のまわりの必要としてくれる人との間にぽっかり穴があいて、愛が足りなくなってしまう。愛のドーナツ化現象とでも名付ければいいのか。

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「よその子への教育もいいけど、自分の家の子の教育も、ちゃんと見て」
今でも別バージョンで言われる。人はなかなか変わらないものだ。僕は相も変わらず苦笑いを浮かべる。

顔を不自然にひきつらせながら、「目の前にいる子を、目の前にいる生徒をちゃんと見て」と言われてしまう教師ってどうなんだろう、と考える。僕は、学校の先生として教室で生徒を見つめながら、学校教育を変えたいと願っている。願っているだけでは何も変わらないから、大変な先生の働き方を変えたいと事業を始めた。授業にしっかり参加する生徒とぼぉっと窓の外を見遣る生徒のどちらも微笑ましく感じながら、僕は、教室にいない生徒のこと、まだ会ったこともないここではないどこかの生徒のことを思う。国連に憧れたのは、自分の両手よりも大きな力で、世界のどこかで貧困にあえぐ人たちに貢献したかったから。海外なんて20歳を超えるまで住んだこともなかったのに、視線だけはずっと高く遠くにあった。

目の前の愛に集中しろ。
上目遣いに僕を見上げる、僕を必要としている対象に愛を注ぐんだ。

多くの人にとって簡単なことも、僕は、意識して向き合わないといけない。ただ、彼女の言葉が刺さっているからこそ、僕はその意識をたぐりよせることができる。目の前の人と遠くの人に愛を届けるには、僕は強くなければならない。だけど、その前向きな心掛けが、カノジョに別の言葉を言わせてしまうことになる。

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