好きと推す(ふつうエッセイ #636)

今日は自分のメモを。

「好き」と「推す」は違うかもしれない。

何が違うのだろうか。好みの度合いだろうか。それとも、もっと根本的な違いがあるのだろうか。

osanaiというサイトを始めて、「推す」ことの意義や弊害は四六時中考えていた。けれど案外、「好き」については考えていなかったように思う。というか、一緒くたにしていた。たぶん、そこには違いがある。

それが何かは分からない。

好きだけど推してはいない。推しているけど好きてまはない。

そういう可能性もあるような。少しワクワクする、そんな問いを見つけた気分だ。