少しだけなら寝過ごしたって。(ふつうエッセイ #520)

20代の頃、しばしば真夜中のクラブイベントに参加していた。

ちょうどロックやオルタナティブの音楽が、ダンスミュージックの要素を取り入れたとき。2007〜2010年くらいだったと思うけれど、ライブに足繁く通っていた層が、クラブへも足を運ぶようになった。

19時台から始まるライブと、23時過ぎから始まるクラブでは、雰囲気が全く違う。そこには音楽よりも、見知らぬ他者との交流を求める人たちがそれなりに多くいて、僕もうっかり、そんな誘惑に呑み込まれそうになった。

レッドブルウォッカを何杯も飲んで、朝まで無茶をする。「茶が無い」とはよく言ったもので、アルコールを含んだ水分は大量に摂取したものの、身体はカラカラに枯れていた。何より、ドッと疲れが身体に押し寄せている。

当時、自宅のあった横浜まで電車に揺られる。

気付けば藤沢まで行き、戻ろうとするも、またも川崎まで行き過ぎてしまう。早朝の電車に乗っている多くの人からすれば、朝から頭をグラグラと揺らしている若者に、不快感を抱いていただろう。でも、仕方ないのだ。

少しだけなら寝過ごしたって、何も問題はない。

先へ進み過ぎたら、戻れば良い。失敗したって、またやり直せば良い。

本来は深酒を反省すべきなのだが(いや、当時はお酒には酔っていなかったはずだ)、妙な方向に、殊勝なメンタリティが育まれてしまっているようだ。

息子も20歳を超えたら、そんな盛場に顔を出すのだろうか。そうやって、ちょっとずつ自分の知らない世界に出会っていけるなら、良いじゃないか。

思いがけず彼らが寝過ごしてしまったら、迎えに行く準備はしておこう。そのとき僕は、もう60歳近くになっているのだけれど。