誰かのために汗をかく<彼女の言葉①>(Yoshiyuki Hadaさん #1)

オランダから帰国後、東京・飯田橋の国際協力NGOでインターンを始めた。大学で国際法を専攻していたのは、なんとなく将来は国連などの国際機関で働きたいと思っていたから。ただ、アムステルダムと東京で国際法の学びを深める中で感じたのは、国際法の限界。法律の文言で救えるものと、救えないものがある。そこで、そのときの僕はこう考えた。限界があるなら、違う方法で試してみればいい。将来の仕事として考えていた国際機関からの貧困解決が大きな、上からのアプローチだとしたら、そうではない、小さな、草の根の取り組みにまずは関わってみよう。そうして始めたのが、国際協力NGOでの仕事だった。

週3日働くほぼフルタイムのようなインターンで、僕の担当はバングラデシュ。NGOの職員に、「バングラデシュ担当、やってみる?」と言われ、その場で二つ返事で引き受けたけど、正直、国旗が日本と色違いということしか知らなかった。だから、少しづつ勉強することにした。日本の4割という国土に日本より多くの人が住んでいる、世界一の人口密度の国。国土が大きな川の流域に広がり、何度も洪水の被害を受けつつも、その惨禍をもたらす大河のお陰もあって米の三期作をも可能とする肥沃な大地。今では、目覚ましい経済成長を遂げつつあるけど、当時は発展途上で、世界中のNGOが集まり援助大国と呼ばれていても、貧困を抜け出せずにいた、そんな国がバングラデシュだった。

インターンとして、やらせてもらえることは何でもやった。日本在住のバングラデシュ人と一緒に月に1回のカレーパーティーを主催したり、支援者の方に寄付をお願いしたり、食品メーカーから助成金を得るために養蜂事業の企画書を書いたり、マイクロファイナンスでお金を借り受けて事業をする女性をインタビューしたり、NGOでの活動に精力的に取り組んだ。国際法を学んでいるときには感じられなかった、自分の押した力が対象に伝わって、それが跳ね返ってくる感覚があって、どんどんのめりこんでいった。「あなた頑張ってるから、寄付するわね」と年配の女性支援者に声をかけてもらったこと、バングラデシュの現地スタッフから、「いずれ君も正職員として入るんだろ?入ってほしい」と伝えられたこと。他の誰でもなく自分でなきゃいけないという感覚がとても心地よかった。

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一年間のインターンの集大成として、バングラデシュを訪問して、6週間ほど現地で活動した。そのNGOはバングラデシュの首都ダッカからやや離れた地方都市で小さな学校を経営していて、滞在中の仕事のひとつが、給食配膳のお手伝い。「おかわりいる?」の言葉に、首をかしげて(バングラデシュでは首を横に傾けるのがYESの合図)おずおずとお皿を差し出してくれる子どもの姿が微笑ましかった。僕は、自分の両の手で誰かのためになることができていることが純粋に嬉しかった。

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