This is (not) love(今井峻介さん #3)

日中は主夫とホームスクーリングの両立、夜は個人事業主としての仕事、ということで、憧れの晴耕雨読とは程遠い暮らしをしている。

僕の暮らしのことを聴いた人は「こどもに向き合っている」とか「息子さんとの時間を大事にしているんですね」とか「仕事を辞めて息子さんのやりたいことに寄り添う覚悟がすごい」などと言うことが多い。

至極恐縮である。しかしながら、それは僕の実態、実感とはかけ離れている。

そもそも、僕はこどもたちと一緒に過ごしたいとは思っていない。社会に彼らが教育を受けられる場所がないから、僕が教えることになった、というだけだ。彼らが学べれば何でもいい。彼らに適切な教育の機会を与えてくれる人がいるなら、すぐにでも代わりたい。

こどもがやりたいことに寄り添うつもりもない。

嶺と然は、動画を見て、YouTubeを見て、おもちゃで遊んで、というのんびりした暮らしを望んでいる。僕は彼らが(必要性はわかっていても)やりたくないと思っていること、課題をやる、洗濯物を畳む、掃除をする、外で体を動かして遊ぶことを彼らの楽しい暮らしに無理やりねじ込んでいる。

楽しく生きていくため、人生を生き抜いていくために必要だと思ってやっているわけではあるが、彼らが望んでいるわけではない。「寄り添う」というより「引っ張る」という表現の方が適切だ。

そして、非常に残念な話だが、僕は自分が望まない選択をしない人間である。なので、こどもの幸せのために何らかの生活を選ぶ、ということはやらない。今もやってないし、これからもやることはない。

では、今僕のやっていることは何なのか。

それは、然と嶺をこの世界に引きずり込んだ張本人としての責任を果たすことだ。日本国憲法第26条2項に書かれているような国民の義務としてではなく、自分の責任を果たすために僕はこの生活を望んで選択し、実践している。選んだことに迷いはないし、後悔もないし、不幸だとも思ってない。そして、満足もしてないし、これがいいとも思っていない。

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