1個の梨(ふつうエッセイ #372)

僕は、梨が好きだ。

「梨」と漢字で書いたけれど、僕にとっての「梨」とは「なし」。ひらがなの「なし」をずっと食べてきた感覚がある。(だけど「なし」だと無のような気もするので、便宜的に「梨」とします)

果物の中で、僕は梨が好きだ。地元の栃木県では幸水、豊水といったものが有名で、母方の実家のそばにも長らく梨園が広がっていた。夏秋になると、食卓には梨が並ぶ。いくら食べても飽きない、瑞々しい甘みが大好きで、その感覚はいまも続いている。

しかし、いま困ったことが起きている。

僕と妻、4歳、1歳の息子たちという家族構成なのだが、1個の梨で分け合うと足りなくなってしまうのだ。長男、次男が早くも梨の魅力に気付いてしまい(良いことだ)、ふたりで梨の大半を食べてしまう(良いことだ)。

もちろん、1個でなく、2個梨をむけば良いのだが、2個むくにはちょっと多すぎる気がして。1個半むいて、半分を冷蔵庫に保管しておけば良いかもしれないが、半分の梨(りんごでも良いが)に対する罪悪感を抱いてしまうのだ。

本音をいうと、梨は思い切り食べたい。でも、僕が1個丸々食べてしまうと、息子たちから「ずるい」と言われそうだ。その辺の塩梅をつかめずに、梨シーズンも半分が過ぎようとしている。

たかが梨、されど梨である。

全員の食欲を100%満たす方法を、今日もまた模索するのだ。