たったひとつの単語だけで(ふつうエッセイ #161)

言葉と向き合う仕事をしているけれど、ときどき、言葉なんて必要ないんじゃないかと思うこともある。

ケースバイケースだし、丁寧な言葉を紡ぐことの意義は微塵も揺るがない。

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だけど例えば今夜雪が降ったとして、象徴的な東京の風景とともに「雪。」と言葉を添えるだけで、余韻はしみじみと伝わるものだ。

老年の夫婦は、余計な言葉を交わさない。ただそばにいるだけで、お互いが安心している。

僕が10代の頃、恋人のいた友人は「毎日電話しないと彼女が怒るんだよ」なんてことを言っていた。困っていた顔をしていた友人に嫉妬さえ抱いたけれど、彼らは不安でいっぱいだったんだろうなと今なら分かる。仲が悪いわけではなかったのに、どれだけ愛しても愛し足りないと感じていたのではないだろうか。

愛という感情に収拾がつかなくなって、そのことが、えも言われぬ不安を感じさせていたんじゃないかと思う。

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苦しいときは喋りすぎてしまう。

自分で納得していないときは、文字数が多めの文章になる。

不思議なことではない。必要最低限の持ち物にするのは、とても勇気が要ることだ。

何を捨てたら良いのか分からない。だけど何かを捨てなければ前には進めない。

たったひとつの言葉だけで。

前に進める勇気を、手にしたい。