銀行ばんばんばん。(ふつうエッセイ #502)

マイナポイントがきっかけ……というわけじゃないけれど、ずっと作ろうと思っていた長男と次男の銀行口座を開設した。

一般消費者にとって銀行とは、生活資金を入れていたり、貯蓄のために預けたりする金融機関という意味合いが強い。だけど実際は、法人にお金を融資し、運用によって収益をあげている。メガバンクや地方銀行、また信用金庫など、金融機関ごとに特徴はあるけれど、とにもかくにも、安全にお金を保管してくれるだろうという最低限の責務を彼らは担っているのだ。

めちゃくちゃ要件が厳しいので、現実的ではないけれど、とりあえず「僕が銀行を作ったら」なんて妄想をしてみたい。

消費者目線に立つと、なんやかや手数料が取られるのが嫌だ。だからいっそのこと、全てをインターネット完結型にして、社員は僕ひとりという超身軽な銀行、スーパーライトバンクなるものを作ったらどうだろうか。

いや、社員は僕ひとりというのは、一見良さそうで、何のためにするのかが不透明だ。どこか山奥に移住して、集落が点在しているような場所でシン・地方銀行を作るのはどうか。高齢の方のご自宅にお邪魔して、手渡しでお金を受け取る。お金が必要な場合は電話で呼び出してもらって「ああ、山田さんとこのおばあちゃんですか?お孫さんにお年玉をあげたいから、1万円ですね。分かりました。1,000円札に崩して、ご持参しますね」なんて。超手間で、どこで利益を上げられるんだなんて話だけど、そんな温かい交流が生まれる金融機関も良さそうだ。

もちろん、それなりに良いビジネスモデルが組まれている金融機関だけど、「めちゃくちゃ儲かってる」というのも不思議な話だ。(いまは、めちゃくちゃ儲かっている金融機関も少ないと思うが、相対的な話として)

金融機関で働く人たちは、「お金」に関する専門知識を持っている。専門知識をもとに、社会貢献しているのだから、その価値の対価として報酬を受け取るのはもちろん当然のことだけど。社会のため、なめらかな経済圏をつくる起点となっている金融機関が儲けているというのも、何だか不思議な気がする。非営利組織や国有企業にする必要は絶対ないけれど、報酬とは切り離したところで「感謝」が回るような組織になったら、素敵なのではないだろうか。

そしたら強盗だって、銀行に盗みに入ろうとは思わない。

だってそこは、社会の「感謝」を生み出しているところだから。感謝の循環が止まったら、みんな悲しむ。お金と感謝の関係。全く異なるものではないけれど、それを「=」でつなげるのも違和感がある。

銀行のこと、なんだか考えを深めてみたくなってきた。