来るべき2億円のために(今井峻介さん #2)

5月に入ったばかりの日曜日の朝。天気は晴れ。

コーヒーを飲みきってしまったので、近くのカフェにコーヒー豆を買いに行くことにする。外に出る。樹々の緑はまぶしいけれど、春の陽気というには肌寒い。薄着で出たのを少し後悔する。歩道の脇のガードレールには満開のハゴロモジャスミン。自分に向けられたわけではない香りに盗み浸る。朝から気分がいい。

向こう側から歩いてきた高齢の男性が目の前でよろめく。慌てて手を貸す。

「大丈夫ですか?」
「ああ、ありがとう。ちょっとふらついてしまってね」
「なるほど。歩けそうですか?」
「ああ、大丈夫。ありがとうね」
「いえいえ。それでは」
「ちょっと」
「え?」
「いや、君は若いのにしっかりしているね。真っ直ぐな、いい目をしている」
「恐縮です」
「変な話だと思うかもしれないが、私の遺産をもらってくれないか。2億円ほどあるが、私にはもう使い切れない。君のような人間に託せば、社会の役に立ててくれるのではないかと思うのだ。どうだろうか」
「まったく変な話だと思いません。光栄な話ですし、そういう意味では僕は適任だと思います。謹んで受け取らせていただきます」

そう言って僕は街路樹を見上げる。新緑が輝いて見える。空は抜けるように青い。2億円を手に入れると世界はこんなにも美しく見えるのか。生きててよかった。

というのが、僕の「突然2億円もらったときのシミュレーション(2023年5月ver.)」である。

「2億円をあげる」といきなり言われたときに、人は果たして躊躇ずにいられるだろうか。否である。それが完全な善意に基づく行為であり、正当な理由があったとしても、遠慮やためらいが生じてしまうのが人間というものだ。僕も例外ではない。

見ず知らずの人に2億円をあげようとする人は確実にクレイジーだ。遠慮やためらいといった気弱な振る舞いが翻意につながるかもしれない。一生に一度の機会は掴み取らなければいけない。

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