殻なし!旨い落花生(ふつうエッセイ #295)

今朝の朝日新聞朝刊。(栃木・群馬版)

テレビ欄の広告がなかなか興味深かったので紹介する。

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広告枠は、大小含めて、全部で6つ。

まずは新聞右上、一番目につく大きなペース。アートの友社の「黄楊彫刻 阿弥陀如来」。気品漂う黄楊細密彫刻の像という触れ込みで、阿弥陀如来像をどーんと真ん中に添えたクリエイティブだ。

次に新聞左下、こちらも大きなスペースで掲載されているのが千葉県八街産の「殻なし!旨い落花生」だ。限定200セット1袋1,080円で販売されているこの商品は、株式会社やますが運営している通販「房の駅」にて販売されている。こちらもどーんと落花生が中心に配されている。

残りは朝日新聞系列の広告が4つ。認知症フレンドリー講座、動画メディア「bouncy」、朝日ビジネスセミナー、「記事のコピーや配布は違法」という啓蒙広告。それぞれテレビ欄の隙間を縫うように掲載されている。

広告主である企業は「効果が高い」場所を選ぶのがセオリーだ。それなりに高い広告掲載料を支払っているのだから、当然である。

つまり阿弥陀如来、落花生は、朝日新聞誌面が最も高い広告効果があると考えているのである。逆にメルカリや、TikTokなどは朝日新聞に広告掲載はしない。(あくまで僕の推測で、過去に広告掲載している可能性もありますが)

さて阿弥陀如来、落花生の広告をもう少し丁寧に眺めてみる。それぞれURL記載があるものの、それより目立つのは、電話番号とFAX番号だ。電話番号は赤字、なかなか刺激的な注意喚起である。

阿弥陀如来、落花生を購入する人たちは、インターネットでなく、電話やFAXを使うことが多いのだろう。さすがに10代、20代はインターネットに親しんでいるはずなので、自然と浮かび上がるのが「高齢者」という存在となる。

そのことについて、是非を唱えるつもりはない。

ただこのことは、新聞というメディアが高齢者に適合していることを示唆している。

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情報は誰のものなのか。特定の「誰か」でないのは言うまでもない。しかし結果的に、朝日新聞で書かれている膨大なテキストは、(少なくとも誌面においては)高齢者に読まれている傾向が高いのだ。

じゃあ、30年後に新聞はどうなっているのか。

新聞のような事業モデルを維持するためには、それなりのボリュームが必要になる。30年後、そのボリュームをどれだけ維持できるのか。(あえて「維持」という言葉を使っています)

新聞は、僕が幼少期から馴染んできたメディアのひとつだ。高校生のとき、僕は新聞記者を志していた。だからこそ、人並み以上に、新聞の未来について考えることがある。

僕の、この駄文はもちろん新聞には載らない。載らないのだけれど、載っても良いんじゃないかと思ったりもする。そんな「駄文」は、世の中でたくさん書かれている気がするし、その「駄文」は特定の誰かにとっては価値の高いテキストになっている。

それは、きっと新聞が生き残るためのヒントなのだ。頑張れ、新聞。「殻なし!旨い落花生」の裏で、僕は、奮闘する関係者に向けてささやかなエールを贈っている。