来るべき2億円のために(今井峻介さん #2)

作家の辻仁成は、後に妻となる女優の中山美穂に初めて会ったときに「やっと会えたね」と言ったらしい。

芥川賞作家である彼の口から、こうした言葉が出るのは自然なことのように思えるが、僕はそれまでに何らかの準備があったと思う。その入念さと機を見て実行に移す、その胆力を僕は見習わなければいけない。だから、これは行き過ぎた妄想ではなく、緻密なシミュレーションである。幸運とは、機会に出会ったときに準備ができているということなのだ。

「発生する可能性が極めて低い事象を想定しても意味がない」と思うだろうか。でも、同じように発生する可能性が低い事象である「これまで出会った人の中で最も愛していると思える人と結婚する」ということに対して、いろいろな想定をするのは当たり前のようになっているから不思議だ。

新明解国語辞典(第八版)では、「愛」は以下のように説明されている。

あい【愛】個人の立場や利害にとらわれず、広く身の回りのものすべての存在価値を認め、最大限に尊重していきたいと願う、人間に本来備わっているととらえられる心情。

ここに書かれたような感情が備わっていない僕を人間扱いしない。定義とは残酷なものだ。一方で、「結婚」は以下のように記載されている。

けっこん【結婚】(正式の)夫婦関係を結ぶこと

続いて、「夫婦」は以下の通り。

ふうふ【夫婦】結婚(同棲)している、一組の男女。

(このようなジェンダー的な視点が抜けている日本語を使わなくて済む未来が1秒でも早く来ることを願いつつ)僕が言いたいのは、そもそも定義上「結婚と愛は関係がない」ということだ。そして、夫婦も「愛し合っている2人」ではない。

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