爪楊枝シーシー(ふつうエッセイ #458)

社会人になって今に至るまで、爪楊枝でシーシーしている光景が不思議で仕方なかった。

ネクタイを締めなさい、電話はワンコールで取りなさい。

そういったルールやマナーに厳しい人たちが、食事後に、人前でシーシーと爪楊枝を扱っている。歯の汚れが気になるのであれば、歯ブラシで磨いた方が絶対に良い。時間短縮の意味合いがあるとはいえ、見せられている側は、どうにも目のやり場に困ってしまう。

まあ、百歩譲って、シーシーは理解できたとしよう。

だが、シーシーした後、しばらく爪楊枝を咥えている方もいて。「あれはいったい、どんな意味があるのだろう?」と疑問で仕方ない。タバコの代替で口寂しいだけなのか。もし「おしゃぶり」があったら、漫画『幽☆遊☆白書』のコエンマよろしく、おしゃぶりを口にし続けるのだろうか。

良いか悪いかは別にして、シーシーの需要はあるのだろう。

だからこそ、コンビニで渡される割り箸には、爪楊枝もセットなのである。シーシーしない人にとって、あの爪楊枝はただただ邪魔なだけ(割り箸を取り出したら、ひょこっと地面に爪楊枝を落としてしまったりする)なのに、シーシー側のニーズに応えて爪楊枝もセットにしているのだ。

原価は1本あたり1円にも満たないはず。しかし諸々の調達コストが上がり続けている社会において、「必要だ」と信じてコストをかけ続ける判断には感心すらしてしまう。

もしかして、シーシーって格好良いのだろうか。

ひと昔前に、タバコが何かしらの象徴だったように、シーシーにも何か意味があるのかもしれない。知りたくはないけれど、特定の世代にとって象徴でもあるのかしらん。

シーシー族の頭を覗いてみれば、その真相が明らかになるのだろうか。ほんの少し、怖いもの見たさ的な好奇心が首をもたげてきた。

*

ここまで書いてきて「そういえば」と思ったのだけど、もともと爪楊枝の役割は「歯の清掃」にあったのかもしれない。というか、どうやら、歯を清掃するための道具だったようだ。

確かに、「歯ブラシ」が存在しない時代もあった。細い小枝で歯を磨くのは、間違いなく先人の知恵だったろう。

そうか、シーシー族の皆さんは、ある意味で保守なのか。シーシーという伝統を守り続け、後世に伝えたいという思い。

なるほど、承知しました。その思い、受け取りはしませんが、頭の片隅に置いておきたいと思います。