チャーミング(ふつうエッセイ #614)

Netflixの配信ドラマ「サンクチュアリ 聖域」が話題だ。

僕も昨日から観て、一気に第5話まで観てしまった。(仕事がなければ、一気に最後まで観ていただろう)

「相撲」は、今の時代に当てはめるならば「ハラスメント」の象徴だ。女性は土俵にあがれないし、上下関係の厳しさは異常である。そもそも裸にふんどしでぶつかり合うというスポーツであり、仮に2023年に「新しいスポーツを考えろ」といわれても、相撲のようなスポーツ(そもそも「スポーツ」という範疇に収まるものでもない)は考えられないだろう。

ドラマの主人公は、一ノ瀬ワタルさんが演じる猿桜だ。

彼はいわゆる「不良」で素行が悪く、金に困って相撲界に入った。

実際、いろいろなところで問題を出すのだが、どうも憎めないキャラクターだ。どこか「かわいげ」があり、コンプライアンスうんぬんで測れないような面白さがある。

彼の特徴をひとことでいうなら、チャーミングだ。

どんなに悪人でも、そこに「チャーミング」な要素を感じるのであれば、それがどれだけ悪人であっても愛することができる。アニメ「ドラゴンボール」のフリーザだって、悟空たちにとって極悪非道なキャラクターだけど、30年近く前のキャラクターにも関わらず、なんだかんだ人々の記憶に残り続けている。「フリーザが好き」という人さえいる。なぜなら、フリーザはどこかチャーミングだからだ。

チャーミングであれば、なんでも許されるというのは極論だろうけれど。でも、どこかチャーミングな要素があるだけで、その人間の見方は一気に変わるように思う。チャーミングは意識して身につけられるものでなく、その人の人間性が、もろに表出するものだからのようにも思う。チャーミングは、嘘がつけないのだ。「チャーミングな人間になりたい」といっても、絶対になれない。「チャーミングになるための10の方法」なんて記事があったとしたら、もうそれは最悪というか、なにも信用できない類のものである。

僕は、チャーミングなキャラクターが大好きだ。みんなも大好きなのだろう。

チャーミングな人間になりたい。そんな不毛な願いは永遠に叶わない。叶わないからこそ、憧れるのではないだろうか。