来るべき2億円のために(今井峻介さん #2)

もう一歩話を進めよう。では「恋」は?

こい【恋】特定の相手に深い愛情を抱き、その存在が身近に感じられるときは、他の全てを犠牲にしても惜しくないほどの満足感・充足感によって心が高揚する一方、破局を恐れての不安を焦燥に駆られる心的状態。

わかる。その通りすぎる。このすばらしい定義から「恋と愛は似ている部分もあるが、まったく違うもの」ということが言える。

一般的に「恋」、「愛」、「結婚」は「恋に始まり、愛が育まれ、結婚に至る」のようにひとつながりのものとして考えられているように思う。赤白緑の三色団子のように。

しかし、定義を見てみると3つの間に強い関連はないことがわかる。マカロン、ティラミス、からあげくらい違うものだ。この3つを串に刺して食べるのはかなり無理がある。マカロンの後にティラミスを食べるのは甘すぎて憂鬱だし、ティラミスが垂れ落ちないか心配だし、からあげの衣についたティラミスのことを考えるとため息が出る。

恋、愛、結婚をセットにできない理由について、別の角度からも書いてみよう。

江國香織の小説『東京タワー』の帯には「恋はするものじゃなく、おちるものだ。」と書いてあった。僕も例に漏れず、誰に恋をするかを自身で選んだことはない。それはばーんとやってくる。そして、僕はどかーんとなってしまう。こんなバカみたいな表現が、しかし最も適切に状況を表している気がする。ばーん、どかーん。

それに対し、結婚は手続きであり、選択だ。気持ちの問題ではない。恋や愛がなくても結婚はできる。してもしなくてもいい。ザッツ・オール。

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