4通目「もし良かったら、どうぞ」(山本夕紀さん #4)

ちなみに祖母はとても食いしん坊だった。

棺にパンを入れる父の姿を見た時、父のパンを美味しい美味しいと嬉しそうに食べていた祖母の姿が私の目に浮かんだ。父の愛が天国の祖母にも伝わるといいなぁと思わず願ってしまった。

なんだかしんみりさせてしまいましたかね。

この何かを作るという愛の形は、別に職人になって自分らしさを極めて何かを創ることだけのことを言っているのではありません。

家族へ作る料理だってそうかもしれないし、お客さんに向けて作る企画だって、ウェブサイトだって、お店だって、誰かのために何かを作るって、決して楽なことではないと思うのです。

それでも、誰しも何かをつくり、大切なひとやまだ見ぬ誰かに受け取られるのを待っている。

だからきっと、あなたが今日食べたそのご飯にも、目にしたウェブサイトにも、きっと誰かの愛が宿ってる。そんな風に思うのです。知らない誰かが、知らないあなたが喜ぶところを想像して、ニンマリしながら作ったそれを、きっと今日もあなたが受け取っている。

そんな風に思えたら、今日も世界には愛がたくさん溢れてて、
例え誰とも会話をしなかった一日だったとしても、
あなたはきっと、たくさんたくさん愛されてるって思えたり、しませんかね。

あとがき

今回は父のパン作りのお話をさせていただきましたが、私が自由丁というお店を創ることになってから蔵前という街で、FREEMONTという会社で仕事をする中で、何かを作ることと真剣に向き合う人と多く関わるようになりました。

自由丁のオーナーの小山しかり、近くの珈琲屋さんのオーナーさんしかり、アーティストの方しかり、その人たちの真剣に自分の生み出すものと向き合う姿は、直接人に優しくしたりすることよりも、時に丁寧で慎重で思いがこもっているように見えます。

けど、そんなに一生懸命作っているのに、そういう人に限って、なぜか自分の作ったものをゴリ押しして売ろうとしない。笑
なぜそうなのか真相は分かりませんが、愛されたいのではなく、愛したくてものを創っているとも言えるようなその姿勢は、とても純粋で素敵です。

こんな他人行儀に話していますが、私もこの文章をそんな気持ちで書いています。
私の心に浮かぶあの人へ、まだ見ぬあなたへ届いたらいいな。幸せな時間のお供になれたらいいな。と願っています。

愛についてのエッセイ、最後の一作。今回も最後までお読みいただき誠にありがとうございました。

そして私にたくさんの愛を与えてくれていた、愛させてくれていた、これまで関わってくれた方々と、こんな風に言葉で愛を伝える機会をくださった「ふつうごと」代表の堀さん、本当にありがとうございました。

またどこかで、お会いできることを楽しみにしています!

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