接客のふつうとは?(ふつうエッセイ #250)

息子の通院後、薬を処方してもらうために薬局を訪ねた。

受付の女性がとても明るかった。「こんにちはー!」という声掛けはひときわ大きく、他の従業員と比べて異彩を放っていた。

僕の勝手なイメージだけど、薬局の受付の女性は、めちゃくちゃ明るいというわけではない。もちろん暗いのではないが、落ち着いている印象だ。

「薬」とは、一歩間違えれば患者の命を奪いかねない。だから、薬剤師という職業は国家資格として認定されている。大学などの教育機関をしっかり修了しなければ、受験さえできない。

病院や薬局は、「神聖」な場だ。

だから、薬局の受付担当は、その厳かな雰囲気を維持しつつ、病気を患った方を丁重に迎えなければならない。

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という前提のもと、件の女性の接客は、どちらかというと八百屋にいそうな感じだった。息子の泣き声にも反応してくれて、笑顔で接してくれる。小さい子どもを連れている大人にとって、これほど心強い存在はない。

八百屋の接客は、賑やかなものだ。彼らが静かだったら、野菜も元気がないのかなと疑ってしまう。「いらっしゃいませ!」「安いよ!」といった声掛けが購買意欲を促進するわけではないけれど、八百屋に来たなあという意味づけを与えてくれる。

言うまでもないことだが、「薬局の方が上で、八百屋が下」と言いたいわけではない。

接客という、お客さんに接するという意味で同じ行為にも関わらず、「売り物」が変われば接客のトーン&マナーも変わるのだ。

接客に限らず、「売り物」によって、売る側の装いも変わる。メルセデスベンツの担当者はスーツをビシッと着こなす一方で、八百屋のおじちゃん、おばちゃんはちょっと汚れたエプロンを身に纏う。

当然これは、客側の期待感のようなものに左右される。客がどんな雰囲気であっても購買行動が変わらないのであれば、接客の態度は均一化していくだろう。メルセデスベンツの担当者が、ヨレヨレのスーツだったら、きっと多くの人は別の高級車を求めるだろう。

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とはいえ、接客のふつうを考えてみるときに、業界を横断した最大公約数的な「答え」は浮かび上がってくるはずだ。

例えば、お客さんに不快な思いをさせないように、とか。

他にも色々あるだろう。そこに本質というか、スタンダードな答えを見出せたとき、初めて、接客のスキルセットを高めていくことができるはずだ。

いらっしゃいませでも、May I help you?でも、どちらでも良い。国や文化の違いは関係ない。「ふつう」の普遍は、案外、強靭な財産として残していけるような気がしている。