愛とは水だ。血だ。あるいは乳。
とめどなく溢れて、真っ白なガーゼを汚していく。
生理現象みたいに、愛されたい欲求は自分のきめ細かな穴からじわりじわりと漏れ出てくる。暑い日に体内でこもった体温を逃すため、汗を流す。そうしないと人間は死ぬ。自分自身で自分の身体をどうにかしないと生きられない。だから私も「愛されたい」という欲求を駄々洩れにしないと、いつかわっと叫んで人間の形を保ってはいられなくなってしまいそうで、想像するとぞっとしてしまう。
この垂れ流しの欲望を処理するために、私はガーゼをあてがわないといけない。あるいは、パッド。ナプキン。ばんそうこう。とにかくきちんと身体を管理しないといけないのだ。どこかの穴を塞げば、次は違う場所から愛に対する欲望はお構いなしに流れ出てくる ──そんな、突貫工事のような身体つきをしている。
どうにも私はそれが恥ずかしくてしかたがないのだった。
みんな、然るべき相手を見つけて、その相手にちゃんと処理してもらっているというのに、私は決壊したダムか何かなのだろうか。そんな大それたものにもなれない。せいぜい都会の片隅で、ひっそりとおかしくなった孤独な蛇口みたいなものだ。絶え間なく水を垂れ流す、留まることも知らず。一生懸命きつく捻ったり締めたりするけれどだめで、やっぱりそうなると吸収力の強いガーゼをあてがわないといけなくなる。傷ものみたいに、弱々しい肉体を晒しながら。
私は本当に、そんな自分が恥ずかしくてたまらない。
愛されたい欲求だけが溢れ出て、身体だけが置いてきぼりになっている、そんな自分のことが。