Bluetoothイヤホンの罠(ふつうエッセイ #325)

僕は普段、Bluetoothイヤホンを使用している。

本当はアップル社のAirPodsが欲しいのだけど、絶対になくすだろうと思い、安価なイヤホンをヘビーユースしている。「絶対になくす」と確信していたのに、2年半も使い続けている僕は、意外と物持ちが良い方なのかもしれない。

高校生のときにMDプレイヤーを買ってもらった。音楽を聴いたり、英語のリスニング対策をしたり。イヤホンはけっこう大事で、あまりに安いものだと音漏れしたり、長く装着していると耳が痛くなったりするものだ。それ以来ずっと有線タイプのイヤホンを所持していたけれど(当時は有線タイプのイヤホンしかなかった)、煩わしかったり断線したりと不便を感じることも多くて。ケーブルの存在を気にしなくても良いBluetoothイヤホンは、想像通り、ものすごく便利に感じていた。

そんなBluetoothイヤホンの罠は「うっかり充電できなかった」という事態だろう。「まだまだいける」状態だったはずなのに、何かの拍子でケースにはまらず、放電されてしまうことが年に数回ある。電車に乗って「よし、音楽でも聴くか」となったときに、全く反応せずに落胆してしまうのだ。

少し前に、地方出張していた際に、これが起こって大変驚いた。地方だと、都合の良いカフェが駅前にあるとは限らない。うろうろしてようやく見つけた場所で充電できたけれど、あわや帰路で「イヤホンなし」を強いられるところだった。

便利なものには、罠がある。

ちょっと強引なまとめかもしれないけれど、真実味はあるのではないか。だって、不便なものには罠がないから。不便なものは、予め不便だと分かっているから、ちょっとやそっとのエラーでは「罠」のように感じない。起こるべくして起こったと納得できてしまう。人間の認知能力は柔軟だからこそ、厄介である。

重ねて申し上げるが、罠は、年に数回しか発生しない。

逆にいうと、数回は確実に発生するので、リカバリーができるような備えが肝要だ。備えあれば憂いなし。これもまた真実味がある。