今となれば、私は自分が思うよりちゃんと、傷つき続けてきたのだと思う。
『キッチン』に感化され、夜に台所の写真を撮ってみたりした。洗い立てのフライパンが、明かりに照らされて鈍く光っていた。冷蔵庫は、『キッチン』にも書いてある通り低く唸り、時折、間抜けにあくびのような音を出していた。
撮った写真はなんともいえない色味をしていた。カメラを握りたての私には、真夜中に、しかも蛍光灯の青白い光源しかない環境でどうやってWB(ホワイトバランス)を調整すれば良いか分からなかったのだ。要は煮るにも焼くにもお粗末で、下手くそな写真だった。
でも、これはこれで味がある、と思った。そうやって思えてしまうあたりが私らしく、ツメの甘い部分であるのだけれど、そんな自分を嫌いになれなかった。きっと『キッチン』に出てくる台所もこんな色をしているだろう、と勝手に当てはめてみた。
きっとえり子さんのような人が、私にとっての彼だったのだろう。誰かがそばにいてくれるというだけで、希望という名の光に目を眇めながら生きていた頃が猛烈に懐かしくなる。若さは私を輝かせていた。どんなことがあっても、きっと乗り越えられるという確信に満ちていた。
そうか、私は彼と、一緒になりたかったんだ。
ひとつの毛布を分け合って、夜を明かした日を思う。私は静かに、眠っている世界を震わせないよう、シャッターを切り続けたのだった。
──