蜂では死なない。(ふつうエッセイ #661)

蜂に刺されたことはあるだろうか。

僕は、過去に三度ある。

一回目は小学生のとき。二、三回目は二年前に。いずれも、かなりの痛みを伴うものだった。

一回目は、蜂に刺された場面を見ていない。スズメの死骸を見ていたら、その後に徐々に指が腫れてきたのだ。あまりに大きく腫れたので病院に行くと「蜂に刺されたのでしょう」とにべもなく医師から言われた。

蜂に刺されたところを見てもいないのに「蜂に刺された」というのは釈然としなかったが、確かにあんなに大きく腫れたのには理由があったのだろう。刺されたけれど、刺されたところを見ていない。それが僕にとって、初めて蜂に刺された経験だった。

二、三回目は今住んでいるマンションの一階、同じ場所で、同じ箇所(耳の裏側)を刺された。一回目と違って、耳元で「ブン!」という音もしたから、間違いなく蜂である。刺した後、あいつの後ろ姿も目撃できている。

ちなみに二回目と三回目の間隔は、一週間しか空いていない。蜂は刺すことによって毒液をもたらすのだが、と同時に蜂の仲間に注意喚起をする意味合いで「警報フェロモン」なるものが刺された箇所に撒かれるらしい。なので僕が再び通ったときに「あいつはヤバいやつだ!」と、蜂が刺しに来たのだろう。なんてやつだ。しかも二回目よりも三回目の方がはるかに痛くて、半泣きで病院に向かった。

見解を述べてくれた医師は、極めて冷静に診察に臨んでいた。普段息子を通わせている皮膚科に、父である僕が半泣きで訪ねたのだ。かなり恥ずかしかったけれど、医師は同情を寄せるでも、白い目で見るでもなく、ただただ診察し、薬を処方してくれたのだった。

ちなみに二、三回目のときも、僕は特に蜂を刺激することはしていない。

ただ、通りかかっただけである。通り魔と蜂を並べるのは不謹慎だが、しかし当時の僕は「なんでおれが……」という気持ちだった。

蜂は刺激されると襲ってくる。何もしなけば危害を加えない。

かねがね教えられてきたことだが、蜂が「刺激される」と感じるのは、おそらく人間の感覚と違うのだろう。もちろんあからさまに蜂に近付いたら反撃されるのは事実だと思うけれど、それこそ虫の居どころが悪いなんてときもあるわけで。何も理由がないときでも、人間は蜂に刺される可能性があるのだ。

刺されたときはどうしたって泣き言を漏らしていたが、時間が経って思うのは、「蜂に刺されても死なないよ」ということ。もちろん毒針に、ということで、毒針が大きなショックを誘発すると危険な場合もある。でも普通に生活し、刺された後に適切な処理を施すのであれば心配いらない。あまり蜂にビビっていても仕方がないし、普通に共生しようと努めることこそ、ふつうの生き方なのではないだろうか。

蜂のメタファーとして、資金繰りのドキドキ感とか、モラハラ上司の存在とか、いつ起こるか分からない自然災害とか、色々なケースが挙げられそうだ。中には生命を脅かすものも確かにある。

だが蜂と同じように、避けようと思って避けられるわけではない。蜂はどこにだっている。だったらしれっと共生を目指すしかない。

四回目に蜂に刺されることがあったら、このエッセイを思い出すことにしよう。願わくば痛みは軽くあってほしいけれど、その痛みもまたエッセイのネタになるかもしれないと切り替えて、蜂との出会いを心待ちにしておこうと思う。