真夜中のラブレター(ふつうエッセイ #11)

真夜中にしてはいけないことがある。

お菓子を食べることと、ラブレターを書くことだ。

特にラブレターは危険だ。真夜中に書く文章は独りよがりになりやすく、書き手の感情が過剰に込められてしまう。端的に言うと、他者に読んでもらう文章にならない。

とりわけラブレターは、読み手の事情に配慮しなければならない。単刀直入に好意を伝えるのは分かりやすいが、逃げ場がないような内容だと断りづらくなる。「どうやらラブレターらしいぞ?」というのはやり過ぎだけど、多少の迂回を挟みながら、いくつかの選択肢を提示できるような感じにしておきたい。

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ラブレターに限らず、深夜に書いたものを振り返ると赤面することが多い。「なんでこんなことを書いたんだろう」と感じ、慌てて「なかったこと」にしようとする。

ただ、ごく稀にだけど「どうしてこんな書き方ができたんだろう」と、自分に感心することがある。全くの素面で、感情のままに書き殴ったテキストは、ロジカルじゃないのだけど不思議と芯を食っていたりする。(だがやはり他者には見せられない)

年齢を重ねていくと、無味乾燥というか、全方位に配慮を重ねて無駄に文字量が多くなってしまうことがある。注釈を無数に編みながら、「そちら様には配慮していますよ」なんて自己防衛する。

真夜中のラブレターのような、直球で、「どうにでもなれ!」という意気込みがほしい。

大好きだった女の子にフラれて、意気消沈した10代の、あのとき。悲しくて悔しくて仕方なかったけれど、今そのような感情になることは皆無だ。仕事でダメだったときも、自分のせいだとは限らない。景気が悪い、お客さんの予算がない、競合が強い、コロナ禍で需要がなくなってしまった……

エナジードリンクで英気を養うのも大切だけど、たまには、宛先のない誰かに対して、真夜中にラブレターを書くのも良いかもしれない。