3通目「あなたのためを思ってしたのに」(山本夕紀さん #3)

恋愛に限らず、家族や同僚、友達同士など、愛したい相手に向かって「あなたのためを思ってやったのに」と思うようなことやその言葉を言われてしまって、なんとも言えないやり場のない悲しい感情に包まれるということは、案外あるのではないだろうか。

だとするならば、愛というものはいつも美しく、人の心を常に平和にする力があるわけではないのかもしれない。

時に勝手に空回りして、恥ずかしくて頼りなくて、乱暴な奴になってしまうこともあるのかもしれない。それでもやっぱりそれは愛で、なんだか憎めないものだなぁと今は思う。

一年記念日の彼の困った顔を思い出しては、「あんな風にしか愛せなくてごめんね」と思う。それでもやっぱり純粋に愛そうとしていたなぁと今でも思うし、いつか私に「あなたのためを思ってしたのに」と言って悲しそうにしていた人のことを思い出しては、「あの時は上手く受け止められなくてごめんね。でもあなたなりに、愛してくれていたんだよね」と温かい気持ちになる。

そんなことを考えていたら、冒頭で書いた「僕があなたを幸せにします」は、他人の幸せを叶えるという、極論自分にできるかできないかわからない無理難題にチャレンジするという、果てしない道のりをどこまでも行こうとする勇敢な言葉なのではと気づいた。

ロマンチックだなぁ。

そう思えてきたので、言われたくない言葉だという意見は撤回します。

私の、空回りしてしまったいくつもの愛たち。渡そうとした相手を幸せにはできなかったようだけど、今もこうして私の記憶の中にちゃんといる。

この愛は、これから私が愛したい人をもっと上手に愛せるように、今もここにいてくれている。そんな風に思っておくことにしよう。

皆さまの記憶の中には、空回りした愛くん、いますか?
調子は、どうですか?(笑)

あとがき

ちなみにもし、プロポーズの時に「結婚しよう」以外にも言ってくれる言葉があるならば、

「僕はあなたといれて幸せです」

が、一番嬉しいだろうなと思っています。(笑)

「幸せにします」という言葉に突っかかりましたが、私も本当は相手のことを幸せにしたいと願う気持ちがあります。でもそれが自分の力だけでどうこうできるものでもないとも思います。

だからこそ、最愛の人の幸せの理由に自分がなれたなら、生まれてきて良かったって、その日まで生きてきて良かったと思えるような気がします。

上手に愛するって難しいですね。それでもやっぱり愛することを止められなくて、うまく行ったりいかなかったりしながら、人と人は、段々と強い絆で結ばれていくのかもしれません。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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