かくことは、「愛するもの」なのかもしれない<後編> / オタク気質女子の戯言(ももさん #4)

それに、かくことなら自分の考えにリミッターをつける必要はありません。どんなに考えがまとまっていない状態でも、なにを書いてもいい。

冒頭でも述べましたが、学生の頃に先生に点数をつけられた作文とは違い、「かくこと」はもっと自由なんです。かくという行為は私を守ってくれるものであり、私にとってなくてはならないものです。

かくことは、「愛するもの」なのかもしれない

ここまで「かくこと」自体の魅力について話してきました。

「かくことが好きなのか?」と聞かれたとき、私は「はい!」とは答えます。しかしそれは前回のエッセイでお伝えしたような推しへの好きとは異なります。

身近にあることが当たり前で、当たり前だからこそいくらやっていても飽きない……第1回で「大きな好き」と「小さな好き」についてお話しましたが、私にとってかくことは「大きな好き」に該当します。

「大きな好き」で自分の軸を整えて、「小さな好き」で人生をカラフルに彩る

そういった感覚です。ずっと一緒にいる友だち、家族、毎朝のランニング、仕事……なくてはいけないわけではないけれど日常生活に当たり前に存在し続けているものに対して、私は単なる「好き」では表せない感覚を抱きます。

好きだからこそそばにある(いる)けれど、もはや日常に組み込まれているもの。それこそが私のいう「大きな好き」であり、大きな好きとは「愛」なのかもしれません。

これが、「愛がなにか?」に対する今の私の答えです。

5年後、10年後にこの「かいたもの」を見返したとき、自分にもう一度「愛ってなんでしょう?」と問いかけてみたいなと思いながら、エッセイを終えようと思います。

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