かくことは、「愛するもの」なのかもしれない<後編> / オタク気質女子の戯言(ももさん #4)

こんにちは、ももです。
ギャップイヤーを過ごしながら、フリーランスでライターをしている19歳です。

今まで3本のエッセイを通じて、私の思う「好き」や「推し」への愛について語ってきました。今回は最終回。前回に引き続き、「かくこと」の魅力についてお話しします。

▼前回のエッセイはこちらから

かけば、もっと上手に話せる

前回のエッセイでは、「かくこと」は自分と向き合うためのツールであり、たとえどんなに拙い文章や雑多なメモであったとしても、自分の気持ちと向き合っているのであれば、それは立派な「かく」行為だというお話をしました。

「自分の気持ちと向き合っているのであれば、それは立派な『かく』行為」
ということは、わざわざ書かずに自分に問いかけるだけもいいじゃないか

と思われる方もいるかもしれません。たしかに、問いかけるだけでも自分と向き合うことはできます。しかし、私はそこに「かく」行為が加わることによって、さらに深く考えることが可能になり、問いかけの効果を最大化できると感じています。

突然ですが、私は話すのがあまり得意ではありません。この「得意ではない」には2つの意味があります。

・順序立てて話すのが得意ではない
・言葉の選び方に配慮しながら話すと混乱する

発表のときには人一倍準備をしないとうまく話せないですし、会議中に発言する機会があったときには、なるべく話す内容をメモしてから話したくなります。言いたいことが一気に脳内に溢れてくると、それを順序立てて話せなくなってしまうのです。

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