2012年12月3日の満員電車(ふつうエッセイ #292)

Webサイト「ふつうごと」でも記事執筆してくれた友人の木幡真人さんがPodcastを始めた。

番組名は「満員電車にはいつまでも慣れない」。哲学性を感じる良いタイトルで、興味深く拝聴した。5回限定とのことだけど、ぜひ長く続けてもらいたい。

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満員電車かあ、と思う。

例に漏れずというべきか、僕も、満員電車は大嫌いだ。

幸いなことに、新卒社員として就職した会社は、出社時間が10時だった。それでも電車内は混んでいたけれど、ぎゅうぎゅうに押し潰されるほどではなく、電車の中でもゆっくりと本を読むことができた。

唯一、満員電車を体感たのは2012年12月3日のことだ。

転職し、出社時間が9時20分に変わる。路線も変わったのだが、その電車の混雑がすごかった。停車するたび、人がぎゅうぎゅうに押し込められる。読書どころでなく、ただただ身体を正常に保つことに集中した。(週末、僕は新しいアパートに引っ越したので、めっちゃキツいという意味での満員電車は、この期間に限られた)

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コロナ禍でテレワーク推奨の企業が増え、満員電車はいくらか緩和されたと聞く。

現在のオフィスは自転車で通える距離のコワーキングスペースにあるので、僕自身も、よほどのことがなければ満員電車に乗る機会はない。

だけど未だに、満員電車という単語を聞くと、心がウエッとなってしまう。

僕にとっての2012年12月3日は、新しい職場への入社日だったけれど、希望でなく不安の始まりになってしまった。身体の自由が奪われたことは、働く上での自由がなくなることを示唆していたように(いま振り返ると)思う。

だからといって、日本社会で満員電車に乗る人が、自由をなくしていると言いたいわけではない。あまりに短絡的すぎるし、あくまで僕個人の物語において「自由がなくなった」ということに過ぎない。

慣れる、慣れないは、あくまで個人が決めること。

僕は、慣れなかった。では一体、何に慣れたというのだろうか。