なにげない幸せ(ふつうエッセイ #225)

朝、白米を食べる。

ご飯をよそるときに、ふと違和感を抱いた。

あれ?
この米、誰が炊いたのだろう。

もちろん、妻だ。

我が家の場合、夫婦で明確な家事分担を決めていない。「ガチガチにルールを決めるの嫌だよね」ということで、結婚当初からお互いの気分や自主性に任せている。

それでも7年間も生活を共にしていれば、お互いの得意分野というか、何となく「〜〜は僕、〜〜は妻」といった切り分けもできてくる。

その流れで、だいたい米を炊くのは僕の役割になっている。

といっても無洗米なので、米櫃から適量を炊飯器に入れ、水を注ぐだけ。簡単なのだけど、うっかり忘れて寝てしまうことも、時折ある。

米が炊いていないときは、何か代用できるもので朝食を拵えることができる。でも、朝は米が食べたい。(朝に食べるパンも好きだけれど)

そんな気持ちを妻が汲んでくれているわけではないが。気を利かせて、米を炊いてくれたのは、なにげない幸せで。

そんな「なにげなさ」の積み重ねで、僕は何とかやってこれている。平和だって、「なにげなさ」に支えられている。何もかもを討論にあげる必要はない。

その余白が、代え難い価値を生んでいるのだから。