意外なこと(ふつうエッセイ #490)

意外なことって、生きてたら結構ある。

そりゃそうだろうで済んだら話は終わってしまって。「意外」って良い方向に転がれば良いんだけど、必ずしも良い方向に転がるとは限らない。

昨年末、メジャーリーグでプレーしていた、元ファイターズの投手・有原航平さんの日本復帰の報道が出回った。早稲田大学の先輩にあたる岡田彰布さんが監督を務めるタイガースへの移籍が濃厚だと言われていたが、年明け早々、3年15億円でホークスとの契約合意がニュースになった。

まだ球団からの正式リリースはないけれど、タイガースやファイターズのファンにとっては、悪い方の「意外」だったろう。タイガースにとっては貴重な戦力を逃したことになるし、ファイターズにとっては所属していた選手が同一リーグの強豪へと移籍するという形になったからだ。

有原さん個人にとって良いディールでも、ファンにとっては心地良い心境にならない。契約社会でよくあることとはいえ、「意外」ということがネガティブに転んだときの影響は、それこそ「意外」に根深く記憶に残ってしまうものだ。(どの球団でプレーすることになるにせよ、個人的に有原さんの活躍を期待しています)

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長々と「意外」について語った。

最近、僕も意外に思うことがあった。とあるプロジェクトで、僕が提案した複数案から、「僕が推していないもの」が選ばれたのだ。

その話を聞いたとき、率直な話、驚いた。「あ、そっちですか?」と素っ頓狂な声をあげてしまったかもしれない。

自分が思っているより、自分の感性は他者と合致しないものだとつくづく感じたが、まあ、そういうものなのかもしれない。

なぜならこの手のことは、全部、他人によって決められるからだ。

評価というものは、多かれ少なかれ被評価者も納得・合意のもとで決定されるものだけど、どうしたって評価者の意思決定が大きな要素となる。それを気に入らないからといって、否定したり、愚痴をこぼしたりするのはナンセンスな話で。

だったら「意外」と思っても、まあそういうものか!と「!」を伴いつつ、未来への投資のようなものだと思ったら良い。

自分の意に反して、ちょっと面倒なことになったとしても、その時間やコストは、未来に向けた貴重な経験値として役に立っていくはずだ。

そもそも「意外」が全くない人生なんて、面白くない。「へえ〜、意外ですね!」という心からの感覚が積み重なっていったら、多様な価値観を受け入れる土壌はしっかりと耕されていることにもなろう。

意外を愛して、意外を楽しむ。

まあ、意外が良い方向に転がるに越したことはないのだけれど。