最近、妻と敬語で話す機会が増えた。
しかし、これは夫婦関係が冷えこんできたからではない、と書きかけて、思いとどまる。
そうなのかもしれない。結婚12年目である。結婚1年目に比べたら確実に温度は下がっているだろう。その結果として、敬語で話す機会が増えたと見るのは合理的だ。なるほど。たしかに。
しかし、ここで一つまた疑問が浮かぶ。果たして関係性の状態を表現するのにアナロジーとして温度を用いるのは適切なのだろうか。そこには「あたたかい方が正義」という哺乳類独自の価値観が埋め込まれているのではないか。
冷めたフライドポテトを食べるのは切ない。冷えたグラタンを食べるのはつらい。でも、冷たくておいしい料理だってたくさんある。冷や汁とか、生春巻きとか、カプレーゼとか、ニューヨークチーズケーキとか。「ひんやりとした関係」というのは心地よさそうだ。真夏の夜、エアコンがよく効いた寝室、さらりと冷えたタオルケットに潜り込むときのあの感じ。「あたたかい関係」よりも好感が持てる。冷たい関係、悪くない。
ああ、どうしてこうなるのか。貴重な化石燃料を燃やし、限りある人生の時間を費し、こんなに一生懸命書いているにもかかわらず、最初の一行から話がまったく進んでいない。ため息しかでない。ため息でも温暖化は進んでしまうのに。
話を戻そう。
最近、妻と敬語で話す機会が増えた。日常的にはいわゆる「タメ口」で会話をしているが、その中に敬語のやりとりが差し込まれるようになった。LINEでのやりとりは半分くらい敬語になった。