Place to be(今井峻介さん #4)

恋、愛、結婚、これらはすべてつながりだ。よい人とつながりたいと願う。できたつながりを長く続けるために努力もするし、切れそうなつながりを結び直せないか悩む。つながりは意味と持続と繁栄を求める。僕らはつながりに期待する。

魂が近い人との邂逅はつながりとは言えない。偶発的で、一瞬で、意味はない。魂は一瞬近づいて、また離れていく。遠くに行ってしまう。でも、そこには確かな何かがある。つながりに満たない何か。よろこびに近いものが。

たぶん、僕と妻の魂の距離はそんなに近くない。お互いに離れた場所にいる気がする。それでも、一緒に暮らしている。敬語で話すというような工夫をしながら、もうちょっと一緒に暮らしていくのだと思う。

遠い人は近くにいて、近い人は遠くにいる。

サン=テグジュペリは「愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである(Love does not consist in gazing at each other, but in looking together in the same direction.)」という言葉を残している。

自分の横に君が座っている。視線を交わしながらも、君は別の方向を向いている。僕はその横顔を見てから、君が見ている方向に目を向ける。この言葉を初めて知った20代半ば、僕はそんな情景を想像していた。僕と君だけの世界。

39歳の僕には少し違った情景を思い浮かべている。

僕と君は明け方の砂漠にいる。砂丘の下の方の斜面に座っている。君は隣にいる。僕は君を目をやらず、砂漠と空を見渡す。明るくなりかけている空にはぼんやり光る星たち。見たことのある星座と流れ星を探してみる。家に置いてきたバラのことをふと思い出す。砂の上には小さな動物の足跡が点々と残っている。空気はひんやりとしている。少し肌寒い。砂と空に囲まれたその場所は僕と君だけじゃない世界だ。

つながりと、つながりに満たない何かと、それ以外のもっとわからないものの間でたゆたうことが暮らすということなのかもしれない。その暮らしの中でパパイヤ鈴木とサン=テグジュペリの生年月日が同じことを知り、今日もまた世界の真理に一歩近づくのだ。

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