Place to be(今井峻介さん #4)

1ヶ月ほど前くらいだろうか。

夫婦の間で穏便でない会話が数回重なった結果、近くにあった可燃性の高いものに火が着いて、それなりの規模の火災に発展した。強風を受けて火災は拡大し、燃え上がり、周囲の酸素を使い果たし、火は唐突に消えた。

という出来事のあとの話し合いの中で「お互いがもっと他人になった方が仲良くやれる気がする。敬語でやりとりするくらいの距離感で関わっていくほうがいいのかもしれない」というアイディアが生まれ、再発防止策の一環として敬語でのやりとりを導入することになった。

当初は、すべての会話を敬語にしていたが、それはそれでやりづらかったため、「相手に何かを依頼をするときや自分の意思や感情を表明するときには敬語にする」という今の形に落ち着いた。妻曰く「敬語で話すというスタイルが自分に合っている。前よりラクになった」ということなので、たまに敬語で話す、この関係をしばらく続けていくことになりそうだ。温度が下がるといろいろなことが起こるものだ。

12年間一緒に住み、いろいろな話をしてきたパートナーである妻と敬語を使って話す。近くにいる人に遠くから話す。近さと遠さは矛盾せず、それぞれが独立して一つの関係性の中で機能している。

近さとはなんだろう。

関係性における距離感を、人がどのように測定しているのかは知らない。でも、確かに距離感というものは実感としてある。あの人は近い、この人は遠いと感じることはある。しかも、かなり明確に。

妻にとって僕は近い人なんだろうか。敬語の方が話しやすいというのは、妻にとって僕が近い人ではないからだと考えるのが自然だ。とすると、僕は彼女にとって遠い人なんだろう。

では、近い人とはどんな人だろう。

相手についての情報を多く知っている人?
相互に感情や情報のやりとりを重ねてきた人?
同じ体験を共有してきた人?
近い経験をしてきた人?
感性が似ている人?

現時点での僕の仮説は「近さは魂の距離によって決まる」というものだ。(これでビビッと「わかる!」となった方にとって以下は完全に蛇足である。読み飛ばしてほしい。「全くわからない……」となった方にとっては以下は完全に苦痛である。ここで終わりにしてそれぞれの日常に帰ってほしい)

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