Place to be(今井峻介さん #4)

その人の本質のようなもの、その人の行動原理や美意識の根底にあるもの、その人をその人たらしめているものを便宜上「魂」と呼ぼう。

魂のありようは人によって違う。パパイヤとモン・サン・ミッシェルくらい違う。いや、パパイヤ鈴木とサン=テグジュペリくらい違う。

魂は同士に共通項や類似性は見いだすことはできない。魂は独立している。誰とも共有できないし、触れ合うことはできない。魂は孤独の根源である。

生き方も、価値観も、年齢も、所属しているコミュニティも、ファッションも全く違うのに、あの人には何か近いものを感じることがある。それは、その人のことがわかる、考え方や感じ方に共感できる、というのとは全く違う。

わからないし、知らないし、自分とは似ていない。親しいわけでも、親しくなりたいと思うわけでもない。でも、何か近いと感じている自分がいる。その近さに、信頼に近い何かを感じている。

あの感覚は、お互いの魂の距離の近さからきているのではないだろうか。

近くにあるからといって、似ているわけでもないし、触れ合えるわけでもない。近くにいることで何かが生まれるわけではない。運命的な何かに導かれて近くにいることになったわけではない。たまたま、魂が近くにある。

ごくまれに、そのことをお互いが確認できるようなときがある。それは必然のような、偶然のような形で訪れる。互いの間にすっと何かが通り抜ける一瞬。それは僕の知る人生の喜びの一つだ。「万有引力とは引き合う孤独の力である」と谷川俊太郎は言った。互いの魂の孤独をわかり合うことではなく、近いところにいる魂が引き合う力を感じられることがうれしい。そういう力を感じさせるお互いがいることがうれしい。

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